亜愛一郎の逃亡

 朝は小雨だったけれど、出かける時には止んで自転車で来る。朝は秋涼だったけど、昼前には残暑の陽気。富士山は雪の冠。

 来館者が口々に述べる。「安藤信哉は深い」「絵の向うに別の国、世界を感じる」「こんな絵を描きたい」「神、仏の世界を感じる」「自分を叱咤されるよう」

 某ブログ25日の書き込みから。

《 丸善日本橋店3Fギャラリーで「平山郁夫片岡球子と巨匠版画展」が開かれている(27日まで)。版画というが具体的にはリトグラフ木版画で、正確には画家たちの原画をもとに職人が版を作り、できあがった作品に画家がサインをしただけのもの、つまりエスタンプといういわば2級品だ。にもかかわらず平山郁夫の20号くらいの版画で189万円もする。そんな作品に中年や老年の夫婦の客が何組も真剣に見入っているのだ。》

《 どうしてこんな印刷みたいなものに100万円の余も出すのだろう。30年後には5万円の価値もないのではないか。》

 まだこんな商品が、それも東京のど真ん中で売れているとは。

 泡坂妻夫『亜愛一郎の逃亡』創元推理文庫1997年初版を再読。ギリシャ彫刻のような端正な顔立ちの学術カメラマン亜愛一郎、実はズッコケさんの名推理を味わう本格ミステリ。『『亜愛一郎の狼狽』『亜愛一郎の転倒』『亜愛一郎の逃亡』の三冊は、どれもオススメ。『亜愛一郎の逃亡』「第六話 赤の賛歌」は画家の秘密に迫る。

《 もう二十年も前になる。冷子はまだ画学生だったが、鏑鬼正一郎が特異な情感と技能を持って、画壇に登場したときの鮮烈な印象を忘れることができない。その画風はすでに赤を基調としていて、どれも嵐のように烈しく、炎のように情熱的で、渦のような畏怖を秘めていた。冷子はその絵の前に立ったとき、恐怖とも呼びたいような重圧感を受け、肌が粟立ってしばらくは息をすることさえ忘れてしまった。》

《 「わたくしに言わせると、あの時期の正一郎が描いた作品は、絵ではなく、叫びだったのです」
  「叫び?」
  「そうです。わたくし達は作られた小説を読むより、一通の手紙に深い感動を受けることがあります。そういう意味で、あの時期の絵が人の心を打つのです。あれは絵が描けなくなった正一郎の魂の叫びでありました。しかし、その叫びは、人の心を揺さぶる力を持っていました。(引用者:略)絵を描き続けることを強要された正一郎は、追い詰められてしまったのです。正一郎は絵を描くことができませんでした。今迄の通り、叫び続けていれば、すぐ声は嗄れてしまいます」》

 ムンクの名画『叫び』を思い浮かべればいいだろう。ムンクの晩年の絵は大人しく平穏な画風だ。そう、叫び続けることはできない。ファン・ゴッホしかりエゴン・シーレしかり。日本人では……止めておこう。