ロクデモナイ人種とトンデモナイ人種

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。伊藤比呂美『女の絶望』光文社2008年初版帯付、池上英洋『恋する西洋美術史光文社新書2008年初版、計210円。後者にはピカソの『鏡の前の少女』1932年が取り上げられている。私が中学三年生の時、学習雑誌『中三コース』の巻末折込で一目惚れした絵。いつかどこかで巡り合いたいと願って三十年、上野の森美術館で催されたニューヨーク近代美術館展でとうとう遭遇。どこに収蔵されているのか知らなかったので、ここに出遭うとは夢にも思わなかった。感慨一入だった。ネット検索するとゾロゾロでてくる。こんなに有名な絵だとは。

《 四八歳の時、ピカソは百貨店でマリー・テレーズ・ワルテルと出会う。金髪、大柄、豊満な体つき。このスイス娘はピカソの好みをすべて満たしていた。(引用者:略)当時マリー・テレーズは一七歳、なんとピカソよりも三一歳も年下だった。》42頁

《 金髪、切れ長の目、明るい肌。そしてピカソならではの多視点的な「お尻と乳房の同時見せ」においても、彼女の健康的な豊満さがよくあらわれている。》43頁

 ピカソはこの絵では人間そのものへの関心で描いている。だから絵はそこに、石壁のように厳とある。安藤信哉はその先、感知できるかできないかの遙かな向こうを視野に描いている。だから絵からは描かれたもののその向うを感じさせる。絵は深奥への深い直感へ、軽やかに誘う。それは味戸ケイコさんの絵にも通じる。

 某ブログから。

《 画家というロクデモナイ人種とコレクターというこれまたトンデモナイ人種の板挟みはどんな画商でも経験していることだろう。》

 あきれる画商もいる。秋空のもと、エアコンのフィルターのお掃除。秋空でも暑い。