夜よりほかに聴くものもなし

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。三木卓『生還の記』河出書房新社1995年初版、有栖川有栖『山伏地蔵坊の放浪』創元推理文庫2002年初版、計210円。前者は狐『野蛮な図書目録』洋泉社1996年初版で取り上げられていたので。

《 こちらの思いの深さに応じて、一冊のユーモアの色合いも深まる。そう思わせるだけの器をもった詩人であり、本であると感じられた。》

 門谷憲二『盆の釣り』朔風社の評の結び。

《 釣魚小説における本書の出現を、推理小説における中井英夫『虚無への供物』(講談社文庫)の出現にたとえてもよい。中井の作品のようにジャンルにおいて突出したものは、そのジャンルを超えて読まれるべきであり、この本もまさしくその一冊であるからだ。》

 ジャンルを超えて観られるべき突出した絵画。イラストレーションであり、マンガであり、デザインであり。美術では特に既成のジャンル分けが制度疲労に陥っていると感じる。

 角川文庫新刊の山田風太郎『夜よりほかに聴くものもなし』の帯文。

《 これは叫びである。

  強者に蹂躙された人々の、

  怨嗟と悲嘆の叫びである。  飴村行 》

 これが気に入って、『夜よりほかに聴くものもなし』廣済堂文庫1996年初版を再読。十短篇による連作集。昭和37(1962)年の発表。冷めた洞察がさり気なく吐露されている。半世紀を経た今に深くつながる。

《 国家には何の期待もしない代わりに、もう何の義務もはたしたくない。国家なんてものとは縁をきった無名の人間になりたい。法律にある国民の生命と財産に対する保護、そんなものも要らない。タップリと国家の保護を受けているのは、それらの義務を決め、課し、命じる政治家とか高級官吏とか、彼らとむすびついている財界の人間だけで、僕は国家の保護という感謝すべき事例にあった記憶はないし、将来もぜんぜん期待しない。》「第七話 一枚の木の葉」

《 大の虫を生かすために小の虫の犠牲にすることはやむを得ない。そう政治家が判断している以上、われわれ下じもの者が何をいおうと、しょせんはごまめの歯ぎしりだ。》「第八話 ある組織」

《 民衆というものは、愛する偶像と同時に、憎むべき対象をつねに求めるものだ。個人とは反対にむしろ愛するものより憎むべきものを欲してやまないのだ。巧妙な政治家とは、じぶんを避けて、憎しみの対象をたえずつくりだし、それを民衆にあたえる人間だといっていいくらいだ。》「第九話 敵討ち」

 なお、飴村行の小説は角川文庫の『粘膜蜥蜴』を持っているけど、当分読まないだろう。

 お昼、銅版画家の林由紀子さんと沼津市のギャラリー・カサブランカのオーナーが、来月一日から始まる林由紀子展のポスターを持って来られる。ステキなポスター。林さんのご主人が来週、筑摩書房から本を出される。川本耕次『 ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書。近所の書店で購入予定。店員に「この著者はあそこの交差点にある会社の社長だよ」と自慢げに教えるつもり。