リア充

 朝、友だちから電話「寒いね〜」。ネットの書き込みを連想。《 寒気扇 》。以前考えた変換 《 歓喜腺 》。

 きょうも早くに初来館者。椅子に仰天、えらく感動される。

 日米開戦記念日。八月十五日ときょうは国の指導部の愚かさを考えさせる。今年は原発災害と開戦とが重なってみえる。昨晩三島市役所の会合で、荒川洋治詩集『心理』みすず書房2005年初版を参考資料に持っていったけど、表題の詩の冒頭。

《 昭和二十年 終戦の年の十二月/静岡県三島市に「市民大学」の/序章は生まれた/講師は三十一歳の/東大助教丸山眞男 》

 そんなことがあったんですか? という市職員の問いかけを受けて、静岡新聞の切り抜きを今朝、コンビニでコピー。

《 六十年前の日本国憲法制定前夜、三島は熱い時代を迎えていた。》

《 「庶民大学三島教室」 》

《 庶民大学の精神は、三島市の戦後を貫く、一つの水脈となっている。》

 この水脈は、今も脈々と受け継がれている。それは数年後に現実となる予定。

 一昨日、再来館した東京の女子大生から「リア充ですね〜」とうらやましそうに言われた。一流企業に就職が内定している彼女の生活はリア充ではないのか? とバスに乗った彼女を見送りながら思った。若き日、当時の磐石鉄壁の体制に挑み、抜け目無く圧し潰され、挫折、の悔しい記憶。当時に較べて今は桁違いにゆるくなっている。この百年で最も動きやすい時代に、青春時に遭遇する幸運。その女子大生から今朝届いたメール。

《 こんな風に言っては失礼かもしれませんが、

  私の友人の誰よりも乙女心たっぷりであるような印象を受けました。》

 うなずいていいのか。ネットのうなずきは昨日のアンディ・ルーニーの続き。

《 希望をもつこと、お祈りをすることは簡単だが、残念ながら懸命に努力をしたときほどはよい結果を生まない。》