犬の記憶 終章/白砂勝敏・木彫の椅子展

 昨日午後、来館者が途切れた時、you tube でアフリカの音楽 を聴いていたら、白砂勝敏氏が「これいいですね」と身を乗り出してきた。この曲「 Ballake 」が収録されている二枚組CD、BEMBEYA JAZZ NATIONAL『 The Syliphone Years 』2004年をきょう持ってくる。1970年前後の演奏を収録したもの。彼が気に入った演奏は、1972年の録音と思う。一曲目を聴いて、白砂氏「やべえ、」と床にゴロンとなってしまう。

 15日に取り上げた三上延ビブリア古書堂の事件手帖』には『写真よさようなら 8月2日山の上ホテル』が出てくる。森山大道の1972年に出た本という記述は、小説にはない。読者が調べなさい、ということなのだろう。森山大道『犬の記憶 終章』河出文庫2001年初版は、写真もいいが、文章にいっそう惹かれる。「新宿」の章。

《 明け方近くの新宿の街は、昼間や宵の口の繁華な風景とは全く異なった貌を見せ、奇妙に青みを帯びて透明感のただよう静寂につつまれていて、なにがなし早朝の海を眺めているような感覚に似たところがあった。それはほんのわずかな時間でしかないのだが、叙事と叙情とが、酔いの醒めはじめた意識のなかで微妙に交叉する一刻であり、大都会がいちばん美しい風景を垣間見せるひとときで、ぼくたちはしぜんと無口になる。》105頁

 1972年当時の新宿東口がまざまざと浮かぶ。そしてその風景は、平成初頭の沼津市高島町にも色濃く存在した……と、懐かしく、ほろ苦く思い出す。往時茫々。

 今、プルーストの『失われた時を求めて』の新訳が二つ、並行して出版されている。仏文学者の鹿島茂岩波文庫を推薦、某ブログでは光文社文庫を推薦。悩ましい。

《 高遠弘美さんの「スワン家のほうへ2」が上梓された。プルースト岩波書店からも刊されているが、読むべきは光文社の高遠訳。ざわめきと静謐さとの鬩ぎ合い、プルーストの息遣いが聞こえてくる歴史に残る名訳である。》

 高遠弘美氏とは以前手紙の遣り取りがあった。

 白砂勝敏氏の木の椅子は、木工の伝統とはかけ離れたところから、その伝統を横切るように出現したと思う。木工の伝統とは全く異質な視点から、けれども、木の生命的な流れにそって彫りこんだため、座ると誰もが椅子の曲面を手で撫で回す。そしてにっこりされる。これは画期的な制作様式だと思う。あまりに健やかな木の椅子ゆえに、多くの人が、その革新性に気づかない。ただ、少数のアーティストはその歴史的意義に気づいている。木工と芸術の新たな地平がここに開かれている。