吾輩は猫である

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。荻原浩『押入れのちよ』新潮文庫2009年初版、吉永南央『萩を揺らす雨』文春文庫2011年初版、計210円。今朝、ブックオフ長泉店で二冊。道尾秀介『球体の蛇』角川書店2009年初版帯付、井上ひさし『イソップ株式会社』中公文庫2008年初版、計210円。昨夕、見送って気になっていた本が『イソップ株式会社』。単行本で持っているけど、小体な文庫サイズに惹かれた。和田誠の絵がいい。買えてよかった。

 午後、ふらりと入ってきた女性、恩田陸の小説と知り、展示している新聞の切抜きを全部読みたいと言う。それはかまわないけど……。「時間がなくてきょうは無理だから」そうだよなあ。

 夏目漱石吾輩は猫である岩波書店1994年2刷を読了。旧字体の全集本で読んだのはこれが初めて。というよりまともに読んだのはこれが初めて。愉快だった。大いに笑い苦笑した。若い時に読んでもこの面白さをどこまで理解できたか。第一章にこんなくだり。

《 いくら人間だつてさういつ迄も栄へる事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよからう。》

 猫の低い視点から人事を見るので、世間の裏側が筒抜けに見通せる。つまりは辛辣にして愉快な批評となる。

《 又況んや同情に乏しい吾輩の主人の如きは、相互を残りなく解するといふのが愛の第一義であるといふ事すら分からない男なのだから仕方がない。》第二章

《 彼の考によると行さへ改めれば詩か賛か語か録か何かになるだらうと只宛もなく考へて居るらしい。》第三章

《 御両人は結婚後一ケ年も立たぬ間に礼儀作法と窮屈な境遇を脱却せられた超然的夫婦である。》第四章

《 世の中には悪い事をして居りながら、自分はどこ迄も善人だと考へて居るものがある。》第五章

《 どうしたら好からう。どうしたら好からうと考へて好い智慧が出ない時は、そんな事は起る気遣いはないと決めるのが一番安心を得る近道である。》第五章

《 「ええ、大概の事は知って居ますよ。知らないのは自分の馬鹿な事位なものです。しかし夫も薄々は知つてます」》第六章

《 セクスピヤも千古万古セクスピヤではつまらない。偶には股倉からハムレットを見て、君こりや駄目だよ位に云ふ者がないと、文界も進歩しないだろう。》第七章

《 凡そ天地の間にわからんものは沢山あるが意味をつけてつかないものは一つもない。どんなむづかしい文書でも解釈しやうとすれば容易に解釈の出来るものだ。》第八章

《 強情さへ張り通せば勝つた気で居るうちに、当人の人物としての相場は遥かに下落して仕舞ふ。不思議な事に頑固の本人は死ぬ迄自分は面目を施こした積りかなにかで、其時以後人が軽蔑して相手にして呉れないのだとは夢にも悟り得ない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのださうだ。》第九章

《 然し今の世の働きのあるを云ふ人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の目玉を抜く事と、虚勢を張つて人をおどかす事と、鎌をかけて人を陥れる事より外に何も知らない様だ。》第十章

 明日へ続く。

 ネットの拾いもの。

《 ドリフターズも今なら5人から48人まで増えているかもしれない。DRF48。》