新・風に吹かれて

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。菅浩江『カフェ・コッペリア早川書房2008年初版帯付、姫野カオルコドールハウス』角川文庫1997年初版、計210円。姫野カオルコ、文庫本だけで25冊もあった。

 気を入れて本を読む気力がなくて、周囲の本棚の前に積み上げられた本の一塔を崩す。

《 以前は部屋の中でタワーとして存在感を放っていたのが、家内のそこかしこで低い台地として、生活圏をジワリジワリと侵食し続けている…。》

 という状態にはまだ程遠いけど……。

 五木寛之『新・風に吹かれて』講談社2006年初版を抜く。「どこかの街の喫茶店で」という題に惹かれて読んだ。喫茶店の話題から東西文化の相違に話が及んだ。

《 ドーピングとナショナリズムが交錯するスポーツの祭典にも、聖火台と聖火ランナーを欠かすことができない文化がある。私たち日本人は、それを単なる点火台、点火ランナーとしか見ていない。》

《 民主主義とはなにか。それは民衆に選ばれた大統領が聖書(バイブル)に手をのせて就任し、司教の証人は神に対して宣誓し、貨幣には神の名を冠するシステムだ。兵士たちは従軍牧師に祝福されて出撃する神の軍隊の一員である。》

《 私たちはヨーロッパとアメリカを手本として、明治以来の近代化をすすめてきた。しかし、いちばん重要ななにかを抜きにしてそれを理解してきたのではあるまいか。故意か、早とちりか。》

 夏目漱石の問題に直面する。関川夏央谷口ジロー『「坊ちゃん」の時代』双葉文庫から。

《 漱石を小説家たらしめたもののひとつはイギリス体験である。そしてもうひとつは開放的な家屋のなかに隠れ住んだ日本の「家」のしがらみである。西欧との戦い、家長としての束縛、この新旧ふたつの圧力と桎梏とが二正面から漱石を苦しめ、それから自由でありたいという強い希求が漱石の小説創作の根源的動機であった。》「明治三十八年『猫』の成立」

 平成に入って資本主義対共産主義という対立軸が崩れ、ある空白の後、それまでほとんど日本の視野の外だったイスラム圏が世界史にせり出してきた。民主主義対イスラム主義のような対立軸が浮かんできた。しかし、私たちはどちらもどれほど知っているのだろう。イスラム主義に対抗しているのは民主主義ではなく、それを成立させたキリスト教思想ではないか。宗教の門外漢の私には、なんとも答えの見つからない問だ。

 ネットのうなずき。

《 どうはじめるかよりも、どう続けるかのほうがはるかに大切 》

《 回転寿司、客が自動回転して寿司が固定の寿司屋に行ってみたい 》