昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。芦原義信『続・街並みの美学』岩波書店1984年2刷、久世光彦『触れもせで 向田邦子との二十年』講談社文庫1996年初版、計210円。懐かしい音楽を聞きながら『触れもせで』をパラパラと読む。
《 あるとき、ある雑誌から<無人島に持っていく一冊の本>というアンケートを求められて、何のためらいむなく「猫」と答えて出したところ、向田さんも同じ回答をしていたことがあった。別に奇抜でもなんでもない選択なのだが、それを見てもう一つ向田さんを信用した覚えがある。》「漱石」
《 欲しいと思うものを、奪れるようでなければ人間一流でないと言っていた向田さんが、たった一つ、奪れなかったものがある。他人の幸せである。さびしい恋をしていた。あの人の恋は、みんなそんな恋だった。ここで自分の気持を通したら、きっと誰かが一人不幸になる。そういう赤提灯の歌謡曲の世界で泣いていた。》「おしゃれ泥棒」
《 娼婦の素質があんなにありながら、娼婦になれなかったのが向田邦子だった。》「恭しき娼婦」
しみじみと酒を飲んでしまった。先だって年配のご婦人からいただいたイタリアのレモン・リキュール。初めて見た銘柄だった。32度。それを一緒にいただいた小さなグラスに注ぎ、飲んだ。甘酸っぱい芳香が切なく広がった。
十代半ば、初めて買ったレコード盤が何だったか覚えていないが、シル・オースティン Sil Austin の『黒い傷あとのブルース』ド−ナッツ盤は、その最初の頃に買ったもの。それと同じ音源で You Tube で聴けるなんて、すんげえ時代になったものだ。元の題は『 Broken Promises 』。私が知ったのは、小林旭の映画『黒い傷あとのブルース』から。テレビで放送されたこの映画、もう四十年あまり見ていないが、最後の場面、可憐な吉永小百合がレストランで一人、小林旭を待っている横顔が、今も目に焼き付いている。当時はなんでえ、という気持ちだったけど、今になると、小林旭が声をかけずに去っていった理由がよくわかる。年の功だ。
ネットの解説には吉永小百合は喫茶店で待っていたとある。どっちかなあ。1961年の映画かあ。遠い昔だけれども、鮮烈だ。しばし懐旧の情に耽る。これはレコードで買えず、後年CDを手に入れて長年の渇を癒した。
それにしてもYou Tube はすごいことになっている。昨夜、レコードを聴いていて、これはないだろうと思ったギリシャの歌姫スーラ・ビルビリ『誘惑のテーマ』まであるとは。
毎日新聞、読書欄、古川日出男が詩人 吉増剛造の三冊を選んでいた。『黄金詩篇』思潮社1970年思潮社と『大病院脇に聳えたつ一本の巨樹への手紙』中央公論社は持っている。四十年あまり前、本屋に並ぶのを待ちきれなくて、市ヶ谷の思潮社まで『黄金詩篇』を買いにいった。表紙を飾る赤瀬川原平の絵が鮮烈だった。古川は書いている。
《 <ああ/下北沢裂くべし、下北沢不吉、下、北、沢、不吉な文字の一行だ/ここには湖がない>
この3行に出会った時、僕は、膝から力が抜けて本当にその場にへたり込んだ。》
当時の私と同じだ。
ネットのうなずき。
《 一度失った信頼はなかなか取り戻せないように、一度切れたやる気スイッチはなかなか入らない。》
本を読むより昭和歌謡を聴いてばかりのきのうきょう。
ネットの拾いもの。
《 節分の夜、死んじゃった人を
布団に簀巻きにして、北北西の枕にする、
この古くからの風習を地方によっては、
恵方巻き葬、と言います。》
午後五時、昼食。