1972年

 昨晩、用事で出かけたついでにブックオフ三島徳倉店まで自転車で行く。藤原伊織『残り火』文藝春秋2007年初版帯付、樋田直人『蔵書票の魅力』丸善ライブラリー1992年初版、計210円。後者は「ハインリヒ・フォゲラーの蔵書票」に10頁が費やされているので。

《 ただ、この フォゲラーの若き日の名作「春」は、明治四四(一九一一)年に、当時、創刊して間もない雑誌『白樺』第二巻第十二号でフォゲラー特集が組まれ、掲載されたので日本でも一般に知られるようになるが、前年の一九一○(明治四三)年に白樺社主催の美術展が開かれ、フォゲラーの銅版画が多数出品されたのが日本の美術界に知られた最初である。》

 「春」1896年や「蛙の王様」1896年、「七羽の白鳥」1898年等の銅版画に流れる抒情的雰囲気に、日本の抒情画の源流を見る思いがする。

 雑誌『芸術生活』1974年8月号芸術生活社の特集「さしえの黄金時代 大正・昭和なつかしの挿絵名作集」から。

《 近代の挿絵を芸術に高めた草分けの人は、いうまでもなく鏑木清方である一葉女史の『にごりえ』による挿絵は、かけ値なしの絶品である。幕末から明治初年の浮世絵にこびりついていた泥臭を、清涼な水でサアッと洗いあげたような画品のさわやかさは、まさに新しい芸術の名にあたいしよう。》落合清彦「近代挿絵評判記─挿絵における美人画の系譜」

 日本における抒情画の草分けが鏑木清方、と私はかね考えていた。竹久夢二は、フォーゲラーの銅版画に影響されて抒情画を描き始めた、とにらんでいる。鏑木清方1878年に生まれ、1972年に亡くなった。1972年が抒情画の区切りの年と考えている。すなわち1973年にやなせ・たかしの編集による雑誌『詩とメルヘン』サンリオが創刊された。そこから味戸ケイコさんたちの新しい抒情画が生まれた。

 ネットの拾いもの。

《 今日はニートの日!

  ニートの日が終わり建国が始まるわけか。

  偉大な先人たちはそこまで考えていたんだな。》