休館日

 味戸ケイコさん、3月1日(木)お昼に来館、午後2時まで滞在予定。

 用事を済ませたついでにブックオフ三島徳倉店へ自転車を走らせる。加藤実秋『インディゴの夜 ホワイトクロウ』東京創元社2008年初版、小森健太朗『大相撲殺人事件』文春文庫2008年初版、柳広司『吾輩はシャーロック・ホームズである』角川文庫2009年初版、文藝春秋・編『私たちが生きた20世紀』文春文庫2000年初版、計420円。

 吉本隆明梅原猛中沢新一の三人による討論記録『日本人は思想したか』新潮社1995年5刷を読んだ。何日もかけて少しずつ読んだ。じつに濃い内容なので、どこまで読み込めたか、はなはだ心もとない。活字になった会話は、彼らの知識のほんの氷山の一角にすぎない。隠れた部分の知識まで降りていかないと、発言の奥行きまで理解が届かない。それは、私には無理というもの。討論の上っ面を滑空してるようなもどかしさをずっと感じていた。読了して付箋を付けたところを読むと、ふうん。

《 中沢 日本の神道は二重性を持っています。ひとつは、伊勢神宮的な神道です。(引用者:略)これはのちの国家神道にも深いつながりを持つことになります。ところが日本の神道には、もうひとつ鎮守様の神道がある。吉本さんの言い方をお借りすれば時間とか習俗、そういうものの中につながりを持つ神道があり、その二重性を通して、日本人は神様というものを思索してきた。》26頁

《 梅原 ギリシャの哲学が自然から人間へという方向があるのに対して、日本の思想はどうもその逆の方向じゃないか。》70頁

《 梅原 だから中世という時代は、律令体制によって押さえられていたさまざまな妖怪が生き生きと活躍する、そういう時代だと思いますね。》156頁

《 梅原 法然親鸞の違いは、法然は明晰な理性を最後まで失わないんですよ。親鸞は、片一方では非常に論理的なところがあるんだけど、さわりに行くとまったく情念的になる。法然のほうは、最後までいつも明晰なのです。情念が抑制されている。そこが僕は大きな違いだと思うけどね。》181頁

 明日へ続く。