ぼんやりの時間

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。武井武雄『ラムラム王』銀貨社1997年初版、樋口有介『ピース』中公文庫 2011年6刷、計210円。

 昨夜、風呂あがりにお客用のビールを飲んだ。この前飲んだのは賞味期限切れだったけど、これはぎりぎり。うまい。いつもは牛乳だけれど、なぜかビールを飲みたくなった。350mlで十分。他に何もいらない。ちょっと本を読んで就寝。いろんな夢をみた。枕元の時計を見ると6時。まだ寝られる……それも夢だった。

 自転車で来る。しばらくして雨。安藤信哉画集の問い合わせ、牧村慶子展の問い合わせの電話。祭りの後の閑けさ。雨音に耳を澄ます。

 辰濃和男『ぼんやりの時間』岩波新書2010年初版を読んだ。

《 人は「自然にとけこんで生きる」ことの幸せのなかにいるとき、もっとも上質のぼんやりの時間を得ることができる、と私は思っている。》86頁

《 自然にとけこむということは、人間が太古の自然に生きていたときの野生をよみがえらせることだと思う。》87頁

《 企業は「むだの排除」を利潤追求のための重要な目標にするが、個々人の暮らしにとって「むだ」はそう悪いものじゃない。》107頁

《 戦後、激変したことの一つは、私たちが周辺の静けさといったものの多くを失い、貴重な「聴く」文化を失いつつあることだろう。》139頁

 ツイッター《 名古屋でコーヒーなら「バロン」か「ガロン」か。》に反応。昭和の時代、歌人塚本邦雄のエッセイで紹介されていた聖舞瑠(せいぶる)とかいう漢字の喫茶店へ、所用に合わせて訪れた。はて、名古屋のどこにあったか。

 去年、知り合いのイラストレーターが福岡市へ引っ越した。近々、知り合いの女性詩人が福岡市へ移る。九州は未踏の地。いつか行ってみたい。来年は行けるか。