名残り火

 藤原伊織の遺作『名残り火 てのひらの闇 II 』文藝春秋2007年初版を読んだ。この本が出る四か月前に亡くなった。良質なエンタテイメント・ミステリだ。文春文庫版収録の逢坂剛「いおりんの名残り火」から。

《 いおりんの小説においては、謎も謎解きも常に登場人物の心の中にあり、物理的なトリック、不自然な状況設定などは、薬にしたくもないといってよい。ミステリーである以上に、小説としての完成度が高いのだ。》

 吉野仁の解説から。

《 作者の持ち味のひとつは、まさしく「質のいい諧謔」にあるのかもしれない。げらげら笑わせる類のユーモアではなく、思わずニヤリとさせられる描写や会話だ。》

《 もともと、描写や会話のうまさは折り紙つきだったが、それだけではない見識や妙味にあふれているのだ。》

 本文から。

《 ある種の気配りを身につけた人間はいる。年齢をかさねても、それを知らないまま終わる人間もいる。たぶんそっちのほうが多いのだろうが、そうでない事例を仕事中の警察関係者に見るとは思ってもみなかった。》11頁

《 「いい人ばっか、早く死んでくね」 》23頁

《 そのときだった。前をいくBMWの運転席の窓からさしだされたものがある。彼女の細い右腕だった。夜目にも白いその腕が、ゆるやかに上を向いた。そして開いたてのひらが左右に静かに揺れた。その瞬間、私は悟った。柿島奈穂子が背後の私にあいさつをおくっている。別れのあいさつ……。だがその理解は限りなくおそかった。》376頁

《 どの藤原伊織作品においても、見事な絵画のごとく、場面の情景がありありと目にうかぶような的確な描写に徹していた。すなわち、しっかりした視線と安定した構図で現実をとらえていたのだ。しかし、冒頭の場面やクライマックスにおいて、大げさな外連味を加えたり、大胆な切り口でドラマを劇的に見せることも忘れてはいない。》逢坂剛

 1995年、出たばかりの第一長編『テロリストのパラソル』を読んで仰天、知人に単行本を贈った。享年59は早い。北森鴻は享年49。早すぎる。毎日新聞朝刊、万能川柳から。

《  高齢と嘆くななれぬ人もいる  優モア 》