生誕の災厄

 E・M・シオラン『生誕の災厄』紀伊国屋書店1976年初版を、飛び飛びに読む。出口裕弘が「訳者あとがき」で書いている。

《 どのページでもいい、気ままに本を開いて、胸にこたえる一行があったら、そこから読みはじめていただきたい。》

《 みずからの最深部から力を汲んで、仕事にかかり、自己を顕示しようとするとたん、人はさまざまな天賦の才が自分にあると思いこみ、欠陥のほうにはとんと無感覚になる。自分の深みから立ち昇ってくるものが、なんの値打ちもないものかもしれぬなどとは、世の誰ひとりとして諾(うべな)うことはできまい。< 自己認識 >? そんなのは言葉の矛盾でしかない。》50頁

《 まだ私にも何ごとかが可能だと映るたびに、私は魔法にかけられたような気持になる。》66頁

《 一冊の本は、延期された自殺だ。》134頁

《 一定の年齢に達したら、人間は名前を変えて、どこか目立たぬ一隅に隠れ住むべきである。誰とも面識がなく、友人や敵に再会する危険もまたなく、仕事に飽き疲れた悪人のようにして、安らかな生涯を終えられる場所に。》149頁

《 何ごとによらず、深く掘り下げたことのない人間だけが、信念を持つ。》177頁

《 自分が、少なくとも永遠の存在ではないと知っていながら、なぜ人間は生きてゆけるのだろう。私にはどうしてもこれが理解できない。》226

《 死者たちの境遇をめぐる果てしない考察から、私が引き出した巨大な利益と巨大な損失。》268頁

《 この本を埋める断章は、反論する気になればいくらでも反論できそうな、無垢といってよいほど隙だらけな構えで書かれている。》「訳者あとがき」

 ネットの見聞。

《 本日は「東京都平和の日」1945年の3月10日深夜、米軍爆撃機344機による焼夷弾爆撃(二時間半の間に2千トンの焼夷弾が落された)があり、非戦闘員の死者約十万人、消失家屋二十七万戸という大被害をうけた。世に言う東京大空襲である。》

 ネットの拾いもの。

《 日本では縄文時代に当たる1万2900年前にも、同様な彗星などの空中爆発か衝突が北米であったらしいことがわかった。この時期には、急速な寒冷化や人口減少が起きており、人類はすでに破滅的な天体衝突を経験していたことになる。

  今思い出しても生きた心地がしなかったな。 》