休館日

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で三冊。ジョン・デジクスン・カー『死が二人をわかつまで』国書刊行会1996年2 刷帯付、佐藤泰志『移動動物園』小学館文庫2011年初版、別役実『淋しいおさかな』PHP文庫2006年初版、計315円。『移動動物園』の解説で岡崎武志が書いている。

《 「空の青み」は、外国人が住むマンションの管理人を描く、という点では、その設定に村上春樹的世界と共通点があるが、主人公が詰まった便器に素手で手を突っ込むシーンは、村上には絶対書けなかった。村上春樹的世界の住人は手を汚さない。共通点を持ちながら、別の道を歩んだ村上を並べてみると、佐藤泰志の世界が際立って見えてくる。》

 この解説で、村上春樹の小説に常に付きまとう拭いようのない違和感の原因にやっと気づいた。

《 ジャズに置き換えるなら村上がスタン・ゲッツ、佐藤は「空の青み」に名が見えるセロニアス・モンクか。》

 とも岡崎は書いている。スタン・ゲッツのリーダー・アルバムは一枚も持っていないが、セロニアス・モンクは十枚ほど持っている。「空の青み」、バタイユの作品を読みたくなった。読みたくなった、とえば、昨日の毎日新聞、読書欄、佐々木睦『漢字の魔力──漢字の国のアリス』講談社選書メチエへの藤森照信の評を読んで、中島敦の短篇『文字禍』を連想。 

《  漢字について、言霊の住人と字霊の国の住人では、根本的なところで違うらしい。字霊の国では、字は情報ではなく実体にほかならない。字のないものは実体もなく、字が誤っていれば実体も嘘(うそ)を含む。優れた中国文学者の井波律子は、中国の文化を考えるとき、「中国人にとって名前は符牒(ふちょう)ではない、実体なのだと私はいつも自分に言い聞かせる」そうだが、言霊の国の住人にはそこんところがなかなか理解出来ない。》