展示の準備完了

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で文庫本を四冊。海野弘ホモセクシャルの世界史』文春文庫2008年初版、川崎長太郎『抹香町│路傍』講談社文芸文庫2004年6刷、河野多恵子『臍の緒は妙薬』新潮文庫2011年初版、藤桂子『逆回りの時計』創元推理文庫2010年初版、計420円。

 昨日の話題の続き。種村季弘『晴浴雨浴日記』河出書房新社1989年初版、「竹倉の富士山」結び。

《 真っ白な富士山が、竹倉温泉バス停の真前に、真正面からおそろしく近い距離までガーッと押し寄せていた。》

 竹倉温泉は、三島市の箱根麓にある。このエッセイには、私が実名で登場。それから……。

 昨日の話題の続き。あらためて牧村慶子さんの絵を見て、考えてしまう。成熟とは? と。心もとなかった線は落ちつき、配色の筆さばきはなめらかになり、少女の表情は明確になり……。しかし、洗練され成熟した絵には、心震えるようなおぼつかなさは失せている。当然といえば当然だが。成熟からの脱皮も、あり、と思うこの頃。味戸ケイコさんの新聞挿絵には成熟から新たな世界への脱皮の震えを感じた。牧村慶子さんは、永い空白の後、また描きたくなったと仰っている。まだ見ぬ(まだ描かれていない?)新作が気になる。

 雑誌『詩とメルヘン』サンリオの牧村慶子さんのページを、原画の前に置く。原画と印刷を対照できる。原画は色が淡いが、これは退色ではなく、濃い目に印刷してあるようだ。色調のなんと微妙なことか。展示は後、ワープロ(パソコンではない)で制作した略年譜や第2回サンリオ美術賞の、やなせ・たかしの選考評を壁に貼るだけ。ふう。毎日新聞朝刊の東京本社版に情報が掲載。写真無し、残念。

 ネットのなるほど。

《 結果的に官僚が気に入る芸術家というのは、芸術家としてはイマイチで贋作みたいな絵ばかり描いて来た人になる。つまり、気の合う似たもの同士が仲良く税金を山分けする。だから、公金でやる企画はつまらないか、古臭い。》