妊娠小説

 一昨日昨夜と、年配のご婦人から手渡された数枚のクラシック音楽CDを手持ちのCDと聴き較べる。ベートーベンの「悲愴」「月光」などでは、エミール・ギレリス弾く「月光」第一楽章に顕著だけど、個性を超えて歴然たる技量の差。ギレリスに軍配が挙がる。ギター演奏CDではジョン・ウィリアムスの弾くアグスティン・バリオスのほうがいい。フルート演奏CDでは、篠笛の鯉沼廣行のCD『天籟賦』のほうが際立って奥深い情景を感じる。はて、感想をどう述べたらいいのか。テケママから恵まれたコロンビアのサルサCDに心が解放される。

 クラシックは頭に来る。歌謡曲は胸に来る。演歌は腹に来る。ジャズは腰に来る。サルサは足に来る。

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。『飯田蛇笏(だこつ)集成 第二巻 俳句 II 』角川書店1994年初版、ローレンス・ブロック『泥棒は深夜に徘徊する』ハヤカワ・ポケット・ミステリ2007年初版、計210円。

 朝、満開の桜のもと、源兵衛川の月例清掃。町内会の人たちがバーベキュー大会。ウォーキングの人の列。

 斎藤美奈子の処女作『妊娠小説』ちくま文庫2008年9刷を読んだ。痛快、痛烈に愉快。

《 日本の近現代小説には、「病気小説」や「貧乏小説」とならんで「妊娠小説」という伝統的なジャンルがあります。》「はじめに」

《 一八六八年。といえば明治維新の年だけれども、妊娠文化史的にいうと、これは「堕胎薬の販売が禁止された年」と記憶されなければならない。(引用者:略)明治に改元される三日前のことだ。日本の近代は、大政奉還ではなく、「望まない妊娠の管理統制」からスタートしているのである。(引用者:略)これは、それまでの日本では、堕胎がさかんに行われていたことを意味してもいる。(引用者:略)明治政府がやっきになって堕胎の規制に乗りだしたのは、脱亜入欧策の一環だったといってもいい。》「妊娠小説のあけぼの」

《 鈴木三重吉は、雑誌「ホトトギス」明治四十三年一月号が似たような題材が並んだので「ホトトギス堕胎号」と呼ばれたと書き残しているという。》「妊娠小説のあけぼの」

《 「外圧」と「ミカド」にめっぽう弱いのは、黒船来航以来つちかってきた、この国最強の伝統である。》「純妊娠小説の台頭」

《 私小説なんて自慰文学だろう、とわたしたちは思っているけど、自慰だけに「かく手(わたし)」と「かかれる一物(わたし)」の両方がいて、そのせめぎあいが、ともあれスリリングではあった。》「純妊娠小説の台頭」

《 ジグソーパズルを組み立てて、びっくりするような絵が出てくることは、まあほとんどない。》「変わりゆく妊娠小説」

 明日へ続く。おっと、忘れるところだった。牧村慶子さんの絵は大好評。銀座の画廊のオーナーご家族も来館。いい絵ですね〜、よく見つけましたね、とお世辞でなく感心される。

 ネットの見聞。

《 哺乳類を哺乳類(英語でママルスラテン語ではママリア。字義通りに訳せば「乳房類」の意味だ!)と名づけたのも、植物の交配をロマンチックな結婚になぞらえたのも、あのカール・リンネだった。》