休館日/不倫(レンタル)・続

 姫野カオルコは『不倫(レンタル)』角川文庫の「文庫版あとがき」で書いている。

《 処女が主人公だからといって、成長(成熟)するとは、性的体験の増加を指さない。成熟するとは、笑いの種類の数が増加することである。》

《 二十四時間、本当に一分、一秒、すべてこの作品を書くためにのみ暮らしていた。》

 解説は斉藤美奈子

《 『不倫(レンタル)』は非常に批評性の高い作品でもあるのです。》

 同感。

《 終始一貫、単刀直入でありたいと考える力石理気子は、私たちが「恋愛」と呼んでいるものの陳腐さを、みごとにあぶりだしてくれます。》

《 結婚と恋愛はスカーフとチョコレートのように別ジャンルだと考える彼女にとって、セックスと生活を切り離せる不倫は便利な制度です。》

《 『不倫(レンタル)』は、発表当時、じつはあまり話題になりませんでした。こんなにおもしろいのにです。過剰な知的サービスが、姫野カオルコの場合は裏目に出てきたかもしれません。(引用者:略)あ、それでも、わかんない人にはわかんなかったかな? 》

 姫野カオルコは15日のブログに書いている。一人称小説『不倫(レンタル)』にも通じる。

《 また、一人称小説が陥りやすい失敗に客観性の欠如がある。(引用者:略)

 小説なのだから主観ではあるのだが、その主観を作品に織り込むには非情な客観を要するのである。
 たとえば森に菫が咲いていたとする。「まあ、美しい菫」と中学生文芸部員の日記なら綴ってもよいが、菫が美しい+美しいと自分が感じた+感じている自分、この三点にカメラが置かれなければプロの小説ではない。「まあ、美しい菫」と思う「わたし」と、なのにその「わたし」の鼻は団子鼻だと恥じている「わたし」を、さらに「わたし」はカメラを操作して撮らねばならない。

 この客観、つまり「カメラを寄せて&カメラを引いて」の駆使にこそ、ウィットやユーモアや、爆笑冷笑微笑といった、人類だけが持ち合わせている感受性を織り込め得るのである。この織り込みをするのに、一人称小説はきわめて困難な形態である。》

 この困難な作業の成功事例が、『不倫(レンタル)』だ。