謎解きが終ったら

 昨日、安藤信哉『裸婦』、1932年の第十三回帝展入選作の絵葉書を手に入れる。画集には掲載されているけれど、絵葉書は初見。このあたりの絵は戦災で焼失したらしい。

 朝は源兵衛川の月例清掃へ。今回は雑草刈り。30分あまりで終る。炎天下、汗びっしょり。自宅で水を浴びてから美術館へ。

 午後、女子高三年生二人が来館。「行き先は決まったの?」「わたしはせいゆう」「わたしはせいゆう」「??」声優学校と西友だった。

 法月綸太郎『謎解きが終ったら』講談社文庫2002年初版をパラパラと読んだ。奥泉光の長編『葦と百合』について。

《 もちろん、『葦と百合』という作品が──大江健三郎の小説、とりわけ『万延元年のフットボール』と並んで──『虚無への供物』から多大な恩恵を受けているのは、あらためて指摘するまでもないことである。 》190頁

 『万延元年のフットボール』の影響はすごく感じたけれど、中井英夫『虚無への供物』には思い至らなかった。不明を恥じる。

 本棚にある法月綸太郎の本で、『生首に聞いてきろ』は既読、『しらみつぶしの時計』は未読。ここで選出。法月綸太郎ミステリーの私的ベスト1は『誰彼(たそがれ)に決定。大掛かりな舞台設定と二転三転する犯人像とが、外連(けれん)みたっぷりの展開を見せて、どんでん返しの結末まで一気読みの面白さ。

 ネットの拾いもの。

《 日本人の「できません」を信じるな。

  韓国人の「できます」を信じるな。

  中国人の「できました」を信じるな。 》