絆ではなく連帯

 雨なのでバス。運賃200円。

《 財布は軽くなっても、人生に重みが増します。たぶん。きっと。 》

 ネットにうなずきたい。

《 その日は店の売り上げゼロであったが、店主の表情は満ち足りていた。なぜなら! 脈ありの買取が一件とれたからで、この心境は一般客には理解してもらえないかもしれない。 》

 美術館に一日一人、いい来客があると、満ち足りた気分で閉めることができる。昨夕、白砂勝敏氏が新制作展の図録を持参。一通り観るが、やはり彼の木彫作品は異彩を放っている。賛否両論の中、長老が館長(私)と同じこと( 誰も見たことがない作品! )を言って励ましてくれたと言う。これは嬉しい。

 朝刊を何気なく流していて、福島第一原発が営業運転を開始したのは1971年だと知る。前にも書いたが、2011年が時代の潮目だと予感〜直観しているが、そうか、稼動から四十年で原発災害か。1971年当時、反体制学生運動で心に深く刻まれた言葉がある。「連帯を求めて孤立を恐れず」。1960年代末の日大闘争で初めて使われた標語だと思う。燎原の火のごとく広まっていった言葉だ。

 東日本大震災で「絆」が溢れた。その語源からも、私にはしっくりこなかった。ここは「連帯」でなくては。ソ連に縛られていた時代、ポーランド労働組合の名前の訳が「連帯」だった。あれから三十年。時代はある時、気づかぬうちに一気に転換する。2011年が「絆」であるなら、2012年以降は「連帯」だろう。周囲の中高年がいい人との心のつながりを求めて動き始めた。そのありように「絆」という縛りではなく、「連帯」という自立した個と個のゆるやかな横つながりを感じる。いち早く動いているのは女性たちだ。

 ネットの見聞。

《 「女というものは」「男というものは」と、さも異性の生態は熟知しているかのように語る人は大抵、同性と恋愛したことがない。比較対象になるサンプルもないのに、よく堂々と語れるものだよね。 》 森奈津子

 ネットの拾いもの。

《 千葉なのに東京ディズニーランドとか東京ゲームショーとか。 》

《 伊豆へ行って天丼を頼んだら、タカアシガニの足が一本載ってきた。 》