手に余るから手に持てるへ

 情報機器の環境がPC(デスクトップ・パソコンというよりノート・パソコンだろう)からタブレット端末へ変わってゆくと予想する向きがある。音響器機がステレオラジカセからウォークマンへ移行したのと同じ現象だろう。軽薄短小という言葉が流行ったが、今は片手でも両手でも持てる薄い器機がもてはやされている。

 タブレット端末機器の扱いは、まるで単行本を読むよう。四六版(188mm×130mm)や菊版(218mm×152mm)の単行本の形態は、人に合ったかたちなのだろう。ノートパソコンは、もはや開かない豪華本か。

 絵画の世界でも同様の傾向だと思う。手に余るぶ厚い額縁の油彩画はもう要らない。額装しても両手で持てるほどの薄型な絵が求められてきている、と思う。

 ネットのうなずき。

《 有名人の知名度の感覚が若い人とずれてしまったことに気づく。あの人もう当たり前には有名じゃないのか。そして、なんだかよくわからないがなんだかんだでそこそこ有名だった人が有名じゃなくなっていたとき、知らない人にその人を説明するのむずかしい。 》

 ネットの拾いもの。

《 Twitterノーベル平和賞を!  イグノーベル平和賞を! 》