秋の空に青い富士山。動いてゆく雲はいわし雲?
十時前に開館。展示室の借り手の黒柳さんに居てもらい、源兵衛川の月例清掃へ。水量が減ったのでお掃除が楽。十一時過ぎに戻る。
久世光彦『陛下』新潮文庫1999年初版を読んだ。昭和十年秋から昭和十一(1936)年の二・二六事件へ至るまでの東京が舞台。兄が中国で戦死した若き軍人の剣持梓を巡る女郎の弓そして義眼の北一輝を絡めて小説は進む。純愛、殉愛、性愛、愛欲そして心中といった言葉が脳内をよぎる。といっても、官能小説家森奈津子なら「耽美なわしら」と喝破しそうなボーイズ・ラブ小説?
《 梓は聞いていて涙がこぼれそうになった。男は、男に対して、こんなにまでの気持ちになれるのだろうか。これは、血と涙で綴られた恋文ではないか。 》100頁
《 同じ風景の中で、人だけが静かに消え、静かに変わっていく。垣根の山茶花は淡い紅色の花をつけ、庭の隅の泉水のほとりには、黄水仙と口紅水仙が頭を寄せ合って揺れているが、かつてその庭にいた兄は死に、姉は狂った。 》140頁
眩(めくる)めく鮮血を鏤(ちりば)めながら、物語は静かにひたひたと白雪の破局へ向かってゆく。生きるものは生き、死ぬものは死んでゆく。
桶谷秀昭の解説の結び。
《 終章のエピグラフに引かれている斎藤史(ふみ)氏の短歌、戦前において二・二六事件の青年将校のもっとも近くにゐて、そのパトスの美しさにたいする共感同苦から歌ひあげた『魚歌』に通ひ合ふものが、久世氏の女人像たちに流れてゐるのである。 》
《 たそがれの鼻歌よりも薔薇よりも悪事やさしく身に華やぎぬ
しなやかな若いけものを馭しゆけり蹄にかかり花は散るもの
羊歯(しだ)の林に友ら倒れて幾世経ぬ視界を覆ふしだの葉の色
いのち断たるおのれは言はずことづては虹よりも彩(あや)にやさしかりき
手を振ってあの人もこの人もゆくものか我に追ひつけぬ黄なる軍列 》
ネットの拾いもの。
《 青森ねむた祭り 》 米澤穂信