聖なる春

 雨の合間を見て自転車で来る。

 久世光彦『聖なる春』新潮文庫2000年初版を読んだ。内容は『怖い絵』文春文庫1997年初版の矢川澄子の解説がわかりやすい。

《 つい最近も『聖なる春』という、全篇にクリムトの原色版をちりばめた美しい一巻を送って下さったばかりだが、これはまたクリムトの贋作を得意とするうらぶれた中年の独身男と、モデルの行く末の凋落像ばかりを描いてしまう美術学生の女の子と、二人をとりもつ猫好きの画商との、侘しくも妖しい三角関係の物語である。 》

《 すれ違う雨に濡れた人々は、誰も、こんな古くさい和風の風呂敷の中に、クリムトが隠れているなんて思いもしないだろう。ほんとうに美しいものや、びっくりするくらい醜いものは、みんなそんな風に、隠れているものだ。 》54頁

 川端康成『片腕』を連想した。これも侘しくも妖しい短編だ。

 ネットの見聞。椹木野衣氏のツイートから。

《 東京オペラシティ篠山紀信 写真力」展。とにかくダイナミックの一言。一点一点がヘビー級ボクサーのパンチのようにズシン、ズシンと下腹に響く。第一室、第二室の生と死の対比など、わかっていてもショックだ。例外は最後の通路を兼ねた展示での、東日本大震災の被災者たちを撮った白黒の肖像写真。 》

《 被災者が白黒なのは配慮などではなく、通路展示の地味さを見てのことだろう。ところが篠山紀信の手に掛かると、被災者たちの顔が他の部屋のどのスターにも引けを取らぬ「有名人」に見える。これこそが写真力だろう。いっそカラーで、しかも大展示室でバンバン見てみたかった。 》

《 初台での篠山紀信展のあと、乃木坂で「田中一光とデザインの前後左右」展(21_21 DESIGN SIGHT)を観た。実は少し前の銀座GGGでの回顧展によい感触を持てずにいたのだが、こちらは鮮烈な印象。単に会場が広いというのではなく、研ぎ澄まされた刃のようで残酷な血の匂いさえする。 》

《 初台から乃木坂の21_21 DESIGN SIGHTを目指したのは、なにかを意図してのことではなかったのだが、篠山紀信とも縁の深いこの地で、田中一光の醒めた豪奢さと出会うことで、さっきまで観ていた篠山紀信の写真もまた、実は琳派の系譜にあることに気づかされた気がする。1/20まで。 》

 篠山紀信の写真にはずっと興味があったが、田中一光のデザインには、どうも隔たりを感じてしまう。椹木野衣氏の「醒めた豪奢さ」が近づく導き語になる予感。

 ネットの拾いもの。

《 銀粉蝶と李麗仙まちがえてた。昔マルシアとシルヴィアをよく間違えてました。 》