詞華断章

 雨が上がったばかりで、自転車で走ると道路が眩しい。午前十時前には担当のお母さんが来館。トイレが素敵と褒められる。

 午後、味戸ケイコさんの絵を観に埼玉から来館者。閉館するので来ました、とその女性。

 竹西寛子『詞華断章』朝日文芸文庫1997年初版を拾い読み。初めの「涼しさを」、冒頭一行からドキンとくる。

《 その大方は、ごくふつうの言葉を寄せた十七音の世界なのに、支えているのは無類の秩序であって、喚起力がつねに新しい。それが私にとっての芭蕉の名句、蕪村の名句である。 》

 ガツンと一発やられたあ〜。と、つい書いてしまう。そして芭蕉が『奥の細道』で認めた一句が紹介されている。

   涼しさやほの三日月の羽黒山

《 大景をおさめて揺るがぬ句の立ち姿は、読み返すたびに濃淡ま新しい水墨画の世界。 》

《 詩の不易に対して、宇宙の不測に対して、わが身を低きに保って祈るような気持の涼しさなしに、この句の涼しさはないと思う。 》

 じつに深い感応だ。ここまで感じ取るとは。他の人の評釈。

《 ほのかに三日月の見える、この羽黒山にいると、いかにも涼しくよい気分であることだ。 》 日本古典文学全集 小学館1976年5刷

《 ほの三日月─「ほの見える」と「三日月」とを言い掛ける。黒々とした羽黒山の上に、三日月がほのかに見えている景色は涼しいことだの意。その地を賞した挨拶。 》 日本古典文学大系 岩波書店1972年12刷

《 昼の暑さもようやく去って、夕風に微涼を生じたころ、ふと見上げた山の端にほのかに三日月がかかっている。そうした即景である。中七字の調子で、三日月をほのかに見つけだした軽い喜びが味わわれる。 》 新訂おくのほそ道 角川文庫2007年4刷

 などなど。安藤次男は『芭蕉百五十句 俳書の読み方』文春文庫1989年初版でこの句を取り上げている。一部を引用。

《 云うところの「日和」待は、天候のことではないらしい。わざわざ初月をえらんで登ったのだ。三日月を以て初月とするのは「万葉」以来の伝統で、 》

《 初月を以て法験(ほうげん)としたい願は、つとにあったのかも知れぬ。いや、あったのだろう。 》

 なんとも凄い探求だ。脱帽。なお、法験とは辞書によると「仏法による効験」の意。続く(予定)。

 ネットの拾いもの。

《 続く、と書いたけど、いざ続きを書こうとしたら特に書く事が思いつかなかったという意外な展開。 》

《 プリンタのインクがなくなったので、本棚の上に置いていたカートリッジを取ろうとしたらうっかり棚の後ろに落としてしまい、手を伸ばしても取れず長い定規でも取れず、やっとカメラの三脚を伸ばして取るのに30分。… 》