ポール・ヴィリリオ

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。関川夏央『本よみの虫干し』岩波新書2001年初版、エラリー・クイーンエラリー・クイーンの国際事件簿』創元推理文庫2005年初版、計210円。

 雨なのでバス。九時半過ぎに着くと、若いお母さんが待っていた。おお、忙しい。

 昨日の毎日新聞朝刊、湯浅誠「くらしの明日 私の社会保障論」は「投票を促すことの難しさ」。

《 関心のないところに関心を呼び起こすことは、本当に難しい。 》

《 人は誰でも、自分の生活実感に基づいて社会を見ている。それを超えてもらうためには「共感の技法」が必要だ。押し付けがましく説教しても、相手は逃げるだけだ。 》

 今年後半の展覧会、下山磤、白砂勝敏、北斎道子そして開催中の風の子教室展、そこに来館される人々はほとんど重ならない。個人名ではない木版画展などでは閑古鳥。関心を呼ぶことの難しさを実感。

 『美術手帖』2001年6月号「特集 20世紀美術の思想47人」を通読。初めての名前が半分以上を占める。ポール・ヴィリリオという人の紹介(吉岡洋)に関心をもった。

《 なぜヴィリリオを読むのか? それは正気に戻るためである。 》

《 ここからわかることは、わたしたちが生きている世界が狂気そのものではないということだ。それは狂気よりもいっそう厄介なもの、麻痺状態なのである。 》

《 この麻痺をもたらしているもの、それが情報化である。 》

《 なぜなら、総体化された情報には否定性が欠如しているからである。 》

《 彼の思想は、情報文明のもつ根本的、原理的に否定的な側面を自覚させる。 》

 一気に関心を呼び寄せられた。世界は広い。

 ネットの見聞。

《  舞台や講義には「偉そう」型と「巻き込み」型がある。あちら側で何か小難しいことをやっていて、観客や聴衆はそれを拝聴し、わからないのは自分のせいと考えるものと、地べたで観客を巻き込みながらわいわいと進んでいくもの。むろん両方あるのがいい。 》

 ネットの拾いもの。

《 さてお風呂。しかし柚子がない。柚子茶ならあるんだが……お湯で希釈するタイプの……これ……。 》