初夢は、最後の一口で御飯が終るとき、手はずしして茶碗が畳をころがっていったけれど、御飯は茶碗からこぼれなかった、というもの。どんな意味だろう? 珍しく憶えている。
《 死を否定せずに肯定する機能を持つからこそ、宗教は現世に生きる人にとっては危険な劇薬となる。でも死を知ってしまった人類は宗教を否定できない。決して手放せない。だからこそ世界の紛争は今も続く。 》32頁
《 これもまた根底にある意識は、「自分のためではなくあなたのため」なのだ。だから異を唱えづらい。陶酔しやすい。摩擦係数が低いから、つるつる滑る。例えばアメリカのイラク侵攻。例えばオウム真理教による一連の犯罪。いずれも潤滑油となったのは、悪意ではなく善意だ。この善意が共同体内部で共有されたとき、正義や大義へと肥大する。 》103頁
《 言い訳ではないのですが、最近「これは自分の思想なのか、誰かの受け売りなのか?」という区別が頭の中でできなくなっていて、本当に、恐ろしく感じてもいます。 》124頁
《 凶暴な人だけが人を殺すわけじゃない。優しい人も人を殺す。善意や正義や大義や崇高な使命感が働いているとき、人は人を大量に殺すことができる。悪意では人を大量に殺せない。人はそれほどには強くできていない。 》138頁
《 真実はひとつではない。人の数だけある。確かに事実はひとつだ。ただしその事実は無限に多面体だ。つまりどの角度から見るかでまったく変わる。 》188頁
《 実と虚は二分されていない。その領域は線ではない。敢えて書けば濃淡だ。 》245-246頁
《 憲法とは何か。主権者である国民が国家という強大な権力を規制するための条項であり、主権者である国民が、こんな国を目指しなさいと政治家たちに託す国の理念だ。これは立憲主義の大原則。 》296頁
《 ところが今の改憲の論議は、そんな基本すら理解していない政治家たちが中心になっている。このレベルで護憲か改憲かなどと論議することすら、本来は噴飯ものなのだ。だからこそ基本に帰ろう。 》296頁
《 いずれにせよ記憶は大切だ。それは大前提。なぜなら歴史は記憶によって紡がれる。 》300頁
《 つまり歴史は何を残して何を忘れるかを決める後世の人たちの主観によって形作られる。 》300頁
《 実のところ釈迦は、来世を肯定するような発言はまったくしていない。仏教における浄土信仰や極楽などの発想は、すべて釈迦以降の後付けだ。 》335頁
ほかにも引用したい箇所はいくつもある。みずからの経験から思索を重ねて練り上げられた論考という好印象。注目に値する書き手がまた一人。
ネットの見聞。
《 だいたい日本が近代化してるなんてはなから決めつけるから話がおかしくなる。 》 椹木 野衣