ブラバン

 津原泰水(やすみ)『ブラバン』バジリコ2007年7刷を読んだ。1980年に広島市(多分)の高校の吹奏楽部員だった男女が、四半世紀の時を経て再結成に向かう。総勢三十四名のメンバーたちが繰り広げる、大群像劇。

 2005年頃の四十路の現在と1980年頃のささやかな出来事が、未婚男性の一人称で語られる。なかなか読ませる。が、なにせ三十四名、一ページごとに人物表を参照。まあ、オツムが弱っているからなあ。でも、面白い。映画監督の井筒和幸が帯に書いている。

《 なんや/しらんけど/沁みる小説/なんやわ/これが 》

 この一言に尽きる。

《 音楽の時代だった。あらゆる音楽が今よりも高価で、気高く、目映かった。 》22頁

《 最初から訊けばよかった。こういう人生の無駄づかいが僕には多い。これまでの人生で一年ぶんくらいは損しているんじゃないだろうか。 》31頁

 この視点から語られる、高校生と四十路、ほろ苦い人生模様。

《 十六歳と二十四歳の間には天文学的な隔たりがあるが、四十と四十八の差は端数でしかない。たしかに「なんぼも違わん」のだ。 》152頁

《 郷愁と悔恨は仲睦まじい。どちらも必ず親友を後ろに隠している。 》212頁

《 「近くのアパ−トが借上げの独身寮になっとる。恐ろしゅう狭いで」

  「うちには負けると思いますよ。ベッドの上しかおる場所がありません」 》219頁

《 僕の部屋にたぶんこのコントラバスは入らない。かりに入ったとしても、今度は僕が入れない。 》227頁

《 矜持のおきどころさえ間違わなければ、いい仕事が得られるだろう。 》284頁

《 美しい音色は修得できない。出せる人間だけが初心者のうちから出せる。 》320頁

《 彼女は自分の新しい世界を守るべきだ。僕が自分の古い世界を死守しているように。 》325頁

《 名曲が郷愁と寸分なく合致した時、それは人を殺すほどの、あるいはもう一度生まれ直させるほどの力を持つ。 》331頁

 高校生たちの奮闘振りに米澤穂信の「古典部」シリーズを思い浮かべた。対照的だ。『ブラバン』は隙だらけ。対して「古典部」シリーズは人物はキャラが立ち、きっちりと作りこまれている。けれども、なぜか『ブラバン』に惹かれる。作家の思い入れの違いか、気質の違いか、育った時代の違いか。それにしてもなあ、と思う。『ブラバン』の文庫本には解説がない。孤独な読書の後、そうそうと共感できる感想に出合えないとは。

 ネットの拾いもの。

《 レコードは 身を削って 音を出してるんだなぁ  》