お散歩のつもりで自転車でブックオフ長泉店へ。久世光彦(くぜ・てるひこ)『百間先生 月を踏む』朝日新聞社2006年初版帯付、富岡多恵子『西鶴の感情』講談社2006年2刷帯付、計210円。あまりに寒いので自宅へ直行。
ロシアじゃ空から火球が落ちてくる、ヴェネツィアじゃ降雪、水浸し。わたしゃあ、お家でひっそり。
「私立伝奇学園高等学校民俗学研究会」シリーズ第二作、田中啓文『邪馬台洞の研究』講談社ノベルス2003年初版を読んだ。
《 なんと、一作目より確実におもしろくなっているではないか。著者である私が言うのだから、まちがいはない。 》
すごい自信というか、法螺というか。それはともかく面白かった。よくぞここまでクダラナイ脱力ギャグをひねり出したものだ。
《 呆然とする皆が、視線を目の前に転じると、そこには……。
蕎麦が羽織を着て座っておりました。 》
古典落語の落ちで締めるなんざあ、お見事!
朝日新聞朝刊、「私の視点」は、グラウンドワーク三島の事務局長渡辺豊博の「公共事業改革 市民主導の『公協事業』に」。安倍政権の公共事業政策への批判。
《 これらは国民や地域の要望、判断をないがしろにした「上から目線」の政策であり、多くの無駄を現出させた従来型の公共事業の手法でもある。 》
《 国民の参加と監視なしでは国家の暴走は止まらず、さらなる借金と無駄な公共物は遺物として残る。公共政策決定過程の転換が今こそ必要だ。 》
毎日新聞14日の夕刊、文芸評論家斎藤美奈子「甘い社会が見過ごす暴力 安倍政権で一掃は可能か」。
《 体罰(という名の暴力)を禁じているのは学校教育法だけではない。子どもの権利条約19条はあらゆる虐待からの子どもの保護を訴え、日本国憲法11条は基本的人権の尊重を、13条は個人の尊厳をうたっている。暴力は人権意識と密接に関連するのである。 》
《 ところが自民党の改憲案では「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない」とする18条の条文が削除された。 》
《 人権を制限し、究極の暴力の否定である戦争放棄に異議を唱える人たちに、暴力を一掃することができるだろうか。矛盾としかいいようがない。 》
同感同感。
ネットの見聞。
《 宮川淳「芸術がどのようなものでもありえ、また、どのようなものも芸術たりうるとしても、なお芸術がすべてであり、すべてが芸術であるわけではない」(「反芸術」'64)。あわせて宮川は、芸術が日常性へと下降し、両者の交流が密になればなるほど、芸術と日常の断絶は実は深くなると言っている。 》 椹木 野衣
《 宮川淳にとって反芸術には、あらゆるもの(呟きも?)が「芸術」たりうる時代にあって、芸術と日常が見分けがつかぬほど一体化してなお、どうしても残らざるをえない「芸術と芸術でないものの境界」をあらわにする役割がある。 》 椹木 野衣
ネットの拾いもの。
《 脱サラという言葉はサラ金から逃げることだと思っていました。 》