時の彼方

 二月はきょうで終わり。早いものだ。春のような陽気に誘われて……出かけない。和室で温かい日差しを浴びて……春愁な気分。風呂場でカビキラーを盛大に使ったせいかな。

 明治大正昭和に活躍した文人たちの書斎がよく、記念館や文学館に保存再現されている。マホガミーの立派なデスクや、貧相な文机を見て、文人の在りし日の姿を思い浮かべるのだろう、観覧者は。平成の今、活躍している物書きたちが亡くなった時、そのような書斎が再現されるだろうか。ワープロに向かい、パソコンに向かい、タブレット端末に向かう物書きたちの書く場所は自室だけではない。列車内であり、コーヒー店であり、街角でもある。もはや固定してはいない。既存のかたちの記念館は求められなくなるだろう、と思う。

 そんなことを、パソコン台とライティングデスクが横並びしているわが個部屋をみて思った。そのつどの発信はデジタル=インターネット、大切な書きものはアナログ=紙の文書で発信。これから電子記憶媒体と紙=文書との棲み分けが一層進むだろう。ほぼ毎日ブログを更新しているけど、これを紙に記録しておこうとは思わない。ブログは見知らぬ人たちへの空間的広がりを求める手段。紙に記録するものは、時の彼方へつなげたいと願うものだけ。それはごくわずか。

 ネットの見聞。

《 私にとって古典的な「左右」の思想区分は、本質的なものには見えない。

  本質的な壁は、私利の確保や全能感の獲得のために政治行動をする人間と「類的」な動機に駆動されて政治実践をする人間たちのあいだにある。 》 内田樹

 Twitter文学賞国内第1位になった小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』受賞の言葉より。

《 作者よりもむしろ読者から作品を愛される、という幸運を、この小説を書くことではじめて経験しました。 》

 ネットの拾いもの。

《 平井和正でもうひとつ思いだした。80年代「おたく/オタク」なる単語が雑誌等に載りはじめた頃、自分を含めて周囲では誰もそんな言葉を使っていなかった。唯一、頭に浮かんだのがアダルトウルフガイ犬神明の台詞「おたくらCIAだろ」だった。 》 伊吹秀明

《 「巨神兵東京に現わる」だと世紀末感がすごいけど、「巨神兵大阪に現わる」だとお笑い臭がものすごい。 》