調和の幻想・続き

 昨夜急遽頼まれ、午前から午後、朝霞市から来た人たちを源兵衛川などへを昼食をはさんで案内。三嶋大社では角隠しをした花嫁さん。晩は市民文化会館での通夜へ参列。

 吉田秀和『調和の幻想』の「あとがき」から。

《 私としては、「幻想」は fantasy の訳であり、全体は「調和をめざす創造的想像力の働き」をさすものと考えている。 》

 広壮な紫禁城の太和殿の正面に立った感想から吉田秀和は、中国のシンメトリー概念を掘り下げてゆく。。

《 だが、本当はそうではないのだ。広さだけでなく、ここでは、自分とほかの万物との関係が、中心とそれをめぐって回転するところの従属物という関係におきかえられたというのが、根本だったのである。そうして本来ならお互いの間では、さまざまの関係に立っているそれらの従属物は、「中心の存在」を軸として、それとの関係の遠近によって定められる一つの下に帰順する。いってみれば、水平の関係で並んでいた諸事物が、一つの軸を支えに、垂直の関係に秩序づけられる。それによって、はじめて、一つの調和が成立する。その秩序実現の方法として、あそこでは、シンメトリーがあったのである。 》 「対句とアシンメトリー

《 だが、調和や均衡は、シンメトリーがなければ不可能なのか? そうではあるまい。

  とすれば、日本文化の特徴は、もしかしたら、シンメトリーとは逆に、非均斉、アシンメトリーによっても平衡と調和を生みだせることを証明した点にあるのではないだろうか。私は、はじめて中国を訪問し、紫禁城の壮麗に打たれたことを通じてようやく、このことに気づかされるところまできた。 》 同

《 以上のように、宗達からドゥガと続けてみてくると、ドゥガが日本の美術的思考、その美学と技法に大いに啓発、触発されたという説がもっともと思われてくることを経験すればたりる。 》 「宗達とドゥガ」

《 しかし、この二人の絵画の間にあるちがいの最大の点は、そこにあるのではない。ドゥガの絵が、これほど強く日本画からの影響のあとを感じさせるにもかかわらず、依然として、奥行き、つまり立体的なパースペクティヴを失わない点にある。言葉をかえれば、「空間の構成」の仕方に、根本的なちがいがある点である。 》 同

《 マネが日本の版画から影と光に無頓着な平べったい塗り方、幾何学的なパースペクティヴが生み出す奥行きを解消する方向にもってゆく空間構成を学びとったとすれば、あるいはそこに向って前進する勇気と理論的根拠を手に入れたとすれば、西洋式空間の造型をあくまでも手放す気になれないドゥガは、日本画から特異な視角による画面構成についての、決定的な励ましを得たといっていいだろう。 》 「マネとドゥガ」

 豊かな論説のほんの一部を紹介。マネの「オランピア」などの絵が、スキャンダラスといったことではなく、マネの絵の何が本当に凄いのか、ずっとわからなかった。『調和の幻想』で、やっと腑に落ちた。

 ネットの見聞。

《 安倍晋三が、50兆円を手土産に米国に朝貢した。そして郵貯マネー約270兆円、医療保険を通じた日本人個人資産700兆円を米国に献上した。長い射程で見ると、TPP参加の真相はそういうことだ。 》 兵頭正俊

《 TPP問題では、郵貯マネー約270兆円、医療保険を通じた日本人個人資産700兆円の、米国への献上を隠すために、農業を前面に出す、目くらましが行われている。農業は見せかけであり、 TPPの本質は、米国による、わが国の保険・医療・知的所有権構造改革と富の収奪にある。 》 同