増補 思想のドラマトゥルギー/HOUSE VISION 東京展

 林達夫久野収『増補 思想のドラマトゥルギー平凡社1984年初版は、昨日書いたように、一筋縄では到底捉えられない深く豊かな見識に満ちている。片鱗をちょっと紹介。

《 林 クールトンというのは、当時、文字通り四面楚歌、『タイムス』の「文芸付録」をはじめとしてあらゆるところでやられている。保守派にはリベラルすぎる奔放な中世学者に映っていたのでしょうね。しかし今はクールトンさまさまで、主流派の先駆者に祭り上げられている。彼の著書はほとんどみな戦後、復刊されて、逆に学問的に彼を軽蔑していた当時の有名学者たちの方が鳴りをひそめてしまった。自分の目というか頭で確かめて、いいと思えば出せばいいんで、そういうことが大事だと思います。 》 「二 わが遍歴時代」

《 林 マルクスは学術文献以外でも、ダンテにしろ、シェイクスピアにしろ、古典を熟読玩味しているでしょう。あらゆる時代の一流学者はみなそれをやっている。僕なんか五流だか七流だか三十流だか知らないけれども、それをやらなきゃ嘘でしょう。 》 「二 わが遍歴時代」

《 林 しかし、話はまた逸れるが、プラド美術館では、何といってもゴヤです。(引用者:略)目玉商品の二つの『マハ』なんか大変人を食ったミスティフィケーション、全くのいたずら書きとしか僕には思えなくなってくる。みんなあの前で溜息をついているが、ゴヤの厖大な画業の中のたた一度のキレイ事の画であることの裏の意味を考えると、身ぶるいが出るほど恐ろしい不敵な画かきです。いい気な俗流評論家の御託並べを拝聴していると、二重にこっちは愚弄されることになる。 》 「四 わが学問の前哨基地」

《 林 彼は、文化とは精神の自発的生命であり、その生命の樹が育って花を開き、実を結ぶには、特殊な自由が必要であり、その自由は断じて国家や宗教に奉仕すべきではないという確信を、『世界史的考察』で披露していますが、たといその「自由」が保守派──と、そうブルクハルトを見る人は多いんですが──の「自由」であっても、現実にひそかにそれを防衛し、擁護することに身を賭けていたことは、疑えません。 》 「四 わが学問の前哨基地」

《 林 ……僕はつくづく思うのだが、ある宗教の精髄というものは、全部その原始段階に出つくしていて、あとは時代時代に適応するための悪く言えば粉飾工作、他宗教からの攻撃に対する自己防衛ないし自己弁明、分派抗争の外ゲバ、内ゲバにおける折伏等々のあおりを食って、一般信者はそれに引き廻されている。 》 「五 聖フランチェスコ周辺」

《 林 あらゆる国語とその何々弁とが入りみだれて、てんやわんやの時代、カタコト同士でも結構通じ合う時代は、史上空前のことです。だからこそ自分たちのやっていることが大事なんだ、とチョムスキーたちは言うでしょうが、しかし、正直言って、チョムスキーを読んでも世界の民衆のこの生きた「自然言語」の世界の片鱗さえ見えず、かえって十七、八世紀の「言語研究」の高級な学問の系譜が浮かんでくるんです。デカルトとかポール・ロワイヤル、フンボルトとかソシュールとか…… 》 「九 顔のない今日の世界」

 HOUSE VISION 東京展へ行った。新橋駅から初めて乗ったゆりかもめからの湾岸風景は、ほう、これも日本か、となかなか楽しい。青海(あおみ)駅で下車。会場はウッドデッキでつながる平屋が枝状に点在。住宅の実物大模型と呼べばいいか。で、感想は、眼を見開かせるような驚きは、残念ながらなかった。温故知新、日本の伝統的家屋と生活に、現代の技術を投入した感。蔦屋書店のブースでは、「間取り」のコーナーに荻原浩『押入れのちよ』、有栖川有栖『長い廊下がある家』、隣のコーナーには恩田陸『ドミノ』。微笑を誘われた。パンフレットから。

《 代官山 蔦屋書店が展覧会のメインホールにサテライト出店。知識豊富なコンシェルジェによって選書された約三千冊にのぼる「住まい」をテーマとした本が並びます。 》

 それから東銀座のギャルリ・プスで催されている大坪美穂展へ行く。居合わせた羽野誠司氏と久闊を叙す。鉛のボックスア−トに、やっぱり惹かれる。皆で話していると、そこへ上條陽子さんが来訪。森美術館会田誠展で盛り上がる。午後八時前帰宅。

 中国のツイッター「微博」から。

《 北京人「私たちは幸せだ。窓を開ければタダでタバコが吸えるんだから」

  上海人「大したことない。俺たちは水道の蛇口をひねれば豚のスープさ」 》

 ネットの拾いもの。

《  新教皇が若い頃に質素なアパートに住んで自炊していた、という報道を読んで、一瞬、本をばらしている姿が浮かんでしまった。「だ、だめだ、やはり聖書だけは裁断できない……」 》