石碑遺物

 昨日はいい天気だったので、桜を探勝。三嶋大社染井吉野は五分から八分咲き、枝垂れ桜は三部咲きか。源兵衛川下流部の染井吉野はやはり五分咲きくらいか。富士山の雪はどんどん減っている。春〜春〜春。

 きょうもいい天気、お掃除日和。花粉さんこんにちは〜わ〜っ。

 花も人生も儚いが、それに対して石は何百年ももつ。三嶋大社には若山牧水の歌を刻んだ文学碑が池のほとりに立つ。高さ一メートルほどの卵形で、露店の間でほとんど目立たない。それがいかにも奥ゆかしいといえばいえる。その石碑の東に高さ五メートルはあるだろう、でかい石碑が塗り壁のように立っている。これもまた来訪者の視野の外にある。樹木の間の石の壁としか認識されていないようだ。なにあろう、これは日露戦争の戦勝記念碑。この日露戦争戦勝記念碑なるもの、沼津市下石田の稲荷神社境内にもかわいいのがある。官幣大社と一地方の神社の格の違いがじつに露わ。明治三十七年=1904年、有志による建立。今じゃ誰も気づかない石碑。だって面白くもなんともないからねえ。ただそこにある、だけ。遺産じゃなくて遺物だな、なんてたわけたことを思ったせいか、石に躓いて痛い目に遭ったわい。

 墓ならば、後世の人がしょうがねえなあ、とボヤキつつ管理してくれるだろうが、上記のような記念碑は、数十年経つと、関係者は惚けるか亡くなるかで、後は関心の埒外に置かれる。日露戦争万歳といっても、歴史の彼方。長泉町には桃沢川のほとりに忠魂碑がある。これは第二次大戦の戦没者を祀ったと聞いている。私が子どもの頃には、おばあさんが橋のない川を渡ってお参りに行っていた。不心得者は関わってはいけない聖地のようで、今だに対岸から眺めるのみ。

 源兵衛川の末端、温水池入口には池の成立を記した石碑がある。南端には苺をなんやらかんやらした人を顕彰したらしい石碑がある。前者は戦後、後者は戦前のものと記憶している。また、三島市立西小学校のプール脇には簡易水道があったという小さな石碑(?)がある。長泉町には橋を私費で作った人を顕彰した石碑。有名人の墓巡り=掃苔が静かな人気のようだけど、忘れられた石碑巡りもまたオツなもの、かな。

 忘れるところだった。函南町長光寺には昭和書碑林なる場所がある。ご立派な石碑だ。かんなみ仏の里美術館とセットで拝観すれば、ご利益があるかもしれない。

 おっとさらに忘れるところだった。三島の桜川に沿って十数基の『水辺の文学碑』。歩道を占拠しているので不便このうえない。それを眺める人がいたら、すっと通り抜けられない。なにせ、石、後世のお荷物とならなければいいが。

 こんな駄文を書いていて、頭から離れなかったのは、秋元藍という人のショートショート集『眠られぬ夜の旅』だった。発行「黒い手の13人」、発行日「一九七一年一三月一三日」、「限定版一三○部 第13番」。人を喰った本だが、内容も最初の「首」を初め、人を喰った不条理なもの。今読んでも面白い。不条理といえば、最近重刷された、ハインリヒ・フォン・クライスト『チリの地震河出文庫1996年初版、再読しても不条理だった。

 ネットのうなずき。

《 フィギュアスケートはスポーツだけれども、芸術と非常に似ているのは、最高難度のことに挑戦する人間がいて、その人間が極めて突出していた場合、それを正当に評価できる人間がいない、あるいはそれを正当に評価したくない人間がいる、というところだと思う。最後は「誰がこれを正当に評価できるのか」という問題になる。 》 福山知佐子

 ブックオフ長泉店で二冊。瀬木慎一『近代美術事件簿』二玄社2004年初版、ジャン・コーヌ『コミュニケーションの美学』白水社文庫クセジュ2004年初版、計210円。