種村季弘『不思議な石のはなし』河出書房新社1996年初版を再読。
《 石をめぐる古今東西の豊饒な伝説。 》 帯文
先だっては隕石がロシアに落下して大いに話題を呼んだが、隕石について。
《 ケプラーは隕石を大気の発散物と考えていた。隕石が空から降ってくるなどということは、無知蒙昧な「民衆の迷信」にすぎない。それかあらぬか十八世紀の学者たちは、隕石が宇宙空間から落下したと信じて阿呆あつかいにされるのをおそれて、前時代の標本コレクションからわざわざ隕石を外して捨ててしまったという。 》 「石の雨」
《 隕石の宇宙発生説がはじめて公認されたのは、一八九四年(ママ)、ドイツの物理学者・音響学者クラードニ(一七五六〜一八二七)がシベリアの発掘物に基づいて隕石宇宙発生説を打ちだして以来のことである。 》 「石の雨」
宗左近は、北一明の焼きものを「韻石」と呼んでいる。その釉薬は光彩陸離たる遊色を放っている。
《 雲母も、雲を生む母体と思われていたから雲母である。 》 「石の夢 あるいは木内石亭」
これは知らなかった。昔、種村氏と富士宮の奇石博物館へ行ったことがある。この取材を兼ねていたのかな。ウェブサイトにはこんな紹介記事。
《 また、地球の歴史をトイレットペーパーで解りやすく紹介もしています。 》
トイレ、行きたくなった。
《 たとえば、「石ころで全世界が埋め尽くされている世界」というのは、「いま実際には実現していないけれども、ひょっとしたらいまここで実現していた可能性のある世界」ではありません。なので、もし可能世界をこのように定義すれば、前者は可能世界ではなく不可能世界になるように私には思われます。 》 森岡正博
《 (承前)なぜそれが不可能世界になるかというと、「石ころで埋め尽くされた世界」においては、私が存在しないので、「いまここ」がないからです。こうやって考えてみると、可能世界というのはなかなか定義が難しい概念のように思えます。 》 森岡正博
ツイートのやりとりを見ていて、石ころが眼前にばあーっと拡がった光景がこの数日ついてまわっていた。過去形で語れる。ふう。
午前中は源兵衛川中流部で川辺に砂を足したり草を移植したり、ホトケドジョウなど魚類の生態を豊かにする、グラウンドワーク三島の作業に参加。富士市の吉原高校の女生徒さんたちも参加。ついがんばってしまう。
ブックオフ長泉店で二冊。村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』文藝春秋2010年初版、仁木悦子『私の大好きな探偵』ポプラ文庫ピュアフル2011年4刷、計210円。
ネットの見聞。
《 知的で格好良さげな今時のアートやら何やらばっかり追いかけてると、知らぬまに足もとから根腐れしていくよ(不定期ツイート)。 》 椹木 野衣
昨晩、白砂勝敏氏が持ってきた新作、A4版の紙にペン画と彩色のヘンな絵は、「知的で格好良さげ」からかけ離れている。最初の観客となった幸運。
《 社会と医療のあるべきバランスについてではなく、自分としてはどう「生の質」を考えられているかと質問すると、ある先生は「六十まで生きられればまずは良しと。そこから先の人生はボーナスのようなものと考える。最後の五年はみんな同じ」と。 》 原研哉
生まれてこの方、ボーナスを払ったことはあっても、もらったことがない。今がボーナスか。納得。
ネットの拾いもの。
《 名古屋の味仙発祥でなぜ「台湾」ラーメン?と長年疑問だったのだが、台湾人の料理人さんが考案して故郷にちなんで名付けたということを初めて知った。納得した。そして「名古屋名物台湾ラーメンアメリカン」はやはり「どこの国だよ」とつっこまれることも知った。良かった。 》
《 モデル兼プロボクサー高野人母美。「ひともみ」と読むのかと思った。「ともみ」。 》