ツァラトゥストラ

 今朝も花冷え。自転車で走ると手がかじかむ。ブックオフ沼津南店へ。有栖川有栖『女王国の城』東京創元社2007年初版帯付、鮎川哲也芦辺拓編『妖異百物語 第二夜』出版芸術社1997年初版帯付、スティーグ・ラーソン『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(上・下)』早川書房2010年5刷、佐瀬稔『金属バット殺人事件』双葉文庫1998年初版、計525円。『女王国の城』は贈呈用。正午近い帰り道は手が温く。

 午後、沼津市の庄司美術館で来月催される内田公雄展に出品する抽象画四十点ほどを運び出し。

 フリードリッヒ・ニーチェツァラトゥストラ』(訳・手塚富雄)を久しぶりに再読。「第三部」は去年の暮れに読了。最終章「第四部」は、中断を繰り返して昨夜遅くやっと読了。前世紀初めて読んだ時はさして苦労せず読み終えた。同じ訳なのに今回は集中力が続かず、難儀した。読了したといっても、とりあえず活字を読み終えました、といったところ。内容の理解にはほど遠いと感じる。内容を素直に受け取るには、生活の垢が頭にこびりつき過ぎてしまったようだ。

《 過去の一切にたいしてわたしが憐れみの心をもつのは、それらの過去の一切が後代の気まぐれにまかされているのを見るからである。── 》 「第三部 新旧の表 11」

《 価格のあるものは、すべて価値の乏しいものである。 》 「第三部 新旧の表 12」

《 よし悪人がどんな害をおよぼそうと、善人のおよぼす害は、最も害のある害でる。 》 「第三部 新旧の表 26」

《 かれらが最も憎むのは創造する者である。既成の表と古い価値を破る破壊者である。──それをかれらは犯罪者と呼ぶ。 》 「第三部 新旧の表 26」

《 多くのことを中途半端に知るよりは、むしろ何事をも知らぬことを選ぶ。他人の見解に従って賢者であるよりは、むしろ自力だけを当てにする阿呆でいよう。わたしは──知識の根底にまで降りてゆくのだ。 》 「第四章 蛙」

《 「そこでおまえは学んだのだ」と、ツァラトゥストラは、相手のことばをさえぎった。「正しく与えることは、正しく受けるよりも、むずかしいということを。また、よく贈るということは、一つの技術であり、善意の究極の離れ業、狡知をきわめる巨匠の芸であることを」 》 「第四章 進んでなった乞食」

《 あなたがたは、わたしから見れば、まだ悩むことが足りない。それはあなたがたが、あなたがた自身を悩んでいて、人間を悩んだことがないからだ。 》 「第四章 高人」

《 あなたがた、創造する人々よ、この「……のために」を忘れよ。 》 「第四章 高人」

《 大きい愛は、愛されることを求めない──それは、「愛されること」以上のことを求める。 》 「第四章 高人」

《 わたしの宿敵、重さの霊は、すでにたじろいで、逃げ出した。 》 「第四章 覚醒 1 」

 JR東海の雑誌『ひととき』五月号のゲラ校。池内紀(おさむ)氏の「冨士の麓めぐり」。ぐるっと巡って源兵衛川が最終地。

《 いたずら坊主がそのまま大人になったような方のお尻にくっついて、川辺をゆるゆると下っていった。 》

 誰のことじゃい、と横の写真を見れば、オレのことか。