半七捕物帳

 昨晩は晴れて気持ちが良いので、三嶋大社へ夜桜見物。去年までは桜の下から見上げていたけれど、桜並木から離れた場所から遠望すると、地に桜の薄明かり、夜空にはきらめく星々、ゆっくり去ってゆく飛行機の点滅、壮大な構図になる。昨日の『銀河鉄道の夜』を彷彿させる。しばし呆然としていたらしく、気がつくと、魂を引き抜かれたような、生気の失せた、ひどく疲れた気分に陥った。幽明の境か。予定した夜のブックオフ行きは取り止め、イトーヨーカドー三島店の本屋で雑誌、文庫を眺める。が、気力は浮上せず、これはいかんと帰宅。

 昼過ぎ、源兵衛川中流で観桜。薄曇から射す陽を浴びて、うっすらと明るむ川辺に連なる満開の桜、一陣の風に落花繚乱の花吹雪。静かなる戦慄。今しか見られない絶景。片手で足りる観衆。最高の桜を存分に堪能。桜に関してはこんな月並みな感想しか書けない。

 岡本綺堂『半七捕物帳』講談社大衆文学館文庫1997年2刷を読んだ。十篇を収録。なんだろう、語り口がじつに巧み。というよりも、巧みと感じさせない上手さ。くせのない日本酒をすーっと味わっているような。似た文体を他にちょっと思いつかない。都筑道夫戸板康二が近いけれど……。世評どおりのいい作品だ。

 北原亜以子が巻末エッセイで書いている。

《 そして、半七が見る夜の闇は濃い。》

 ネットの拾いもの。

《 時代劇で時代考証を厳格にしたら、何を話しているか分からなくなると思う。 》

《 Q:何故歴代ライダーの名前は覚えられて、15人しかいない徳川将軍は覚えられないのですか?

  A:変身しないからです。 》

 ネットのうなずき。

《 表現というのは、人間にとってとても自然で止めることのできない生理だから、(排泄と同じように)どんな人も臆せず表現をすればよいと思う。ただ、アーティストと呼ばれるにはそうした「個 individual 」を超えた表現である必要があるところが、重大で決定的な違いだと思う桜の宵。 》 阿川大樹