バロック協奏曲

 キューバの作家、アレッホ・カルペンティエールバロック協奏曲』サンリオSF文庫1979年初版を読んだ。正味八十頁余りの短い小説だけれど、十分な読み応え。舞台は十八世紀半ばのメキシコ〜スペイン〜ベネツィア

《 銀鉱で巨富を得た鉱山主が従者と様々な品々を伴ってマドリッド詣でに出立しようとしている── 》 裏表紙の紹介文

 しかし、マドリッドに幻滅してイタリアへ旅立つ。そしてベネツィアでとびっきりの祭りに飛び込む。

《 特別の祭日だというので、旋回花火と彗星花火を加えた仕掛けから、花火とともにロケット、ベンガル花火を打ち上げるために、小屋から引き出されてきたのだ……。それを合図に、人びとは顔を変えた。 》 36頁

 仮面、仮面、仮面のお祭り。

《 清楚な貴婦人が作り声で、何ケ月ものあいだその胸にしまい込んでいた下品で猥らな言葉を吐き散らす。 》 37頁

 そして音楽が鳴り響く。そこから時間は急速に歪み、歴史は捻じ曲がる。

《 「カ=ラ=バ=ソン=ソン=ソン」いっそう調子をつけてフィロメーノは歌った。「カバラ=スム=スム=スム」とヴェネツィアの男、サクドン人、ナポリ生まれの男が応じた。 》 49頁

《 「下らん! 甘ったるいマーマレードだ、あんなもの!」「いや、ジャム・セッションといった感じでしたよ、どちらかと言えば」 》 58-59頁

《 モーターボートが通過するたびに波が立った。 》 85頁

《 そこでフィロメーノは、ルイ・アームストロングの類まれな金管楽器が間もなく鳴り渡ることを告げるポスターで飾られたホールへ向かって、いとも軽やかな足取りで歩き始めた。 》 85-86頁

 1974年に発表された『バロック協奏曲』、これは開放的に面白かった。トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』が強迫的競争的な展開であったのにたいして、『バロック協奏曲』は上記の「ソン」=キューバのポピュラー音楽のように、協奏的あるいは狂騒的。濃密な時間を体験した。

《 この『バロック協奏曲』は、円環的、褶曲敵、加速的、或いは直線的といった、カルペンティエールの物語を構成する叙述の時間形式がすべて実現させられているという意味で、彼のスンマ・ポエティカと呼ぶにふさわしい傑作であると考える。 》 訳者鼓直の解説

 スンマ・ポエティカとは「詩学大全」の意。併録の短編「選ばれた人びと」は、ノアの方舟の拡大版パロディというか、何艘もの方舟が大洪水の後に出合う、苦いユーモアの効いた寓話。これまた好きな一編。

《 要するに、多くの神々が存在し、それぞれの人間に同じお告げを授けたのだ。「わしらのものに似た別の船が、きっと、その辺を漂っているのだろう」 》

 なわけで、聴く音楽はキューバのソン SON 。1904年に生まれたカルペンティエールが耳にしたであろうバンド、セステート・アバネーロ SEXTETO HABANERO の1924-1927年録音のCD『 SON CUBANO 』。続いて1958年録音のセプテート・ナシォナール SEPTETO NACIONAL のCD『 De Ignacio Pineiro 』。三十年の間に変わったところと変わらぬところ。どちらもじわじわと効いてくる。

 『バロック協奏曲』や『失われた足跡』1953年から連想するのは、古川日出男の『沈黙』。角川文庫の『沈黙/アビシニアン』裏表紙、「沈黙」の宣伝文から。

《 祖母の家の地下室で見つかった数千枚のレコードと十一冊のノート。記されていたのは、十七世紀アフリカに始まるある楽曲の、壮大な歴史。 》

 帯の宣伝文句。

《 炸裂する言葉の弾丸  博覧強記の物語世界 》

 まあ、そうなんだけど。「アビシニアン」は珠玉の、と言いたい硬質な美しさ。偏愛する一編。文学好きならば『バロック協奏曲』『失われた足跡』『沈黙/アビシニアン』、これらの作品は必読書だろう。

 ネットの拾いもの。

《 タイトルが「私の家来ちゃいますか?」ってスパムメールきて

  「いやいや家来じゃねーよww」って思ったけどよく考えたら訓読みだった。 》