最後のコラム・続き

 鮎川信夫『最後のコラム』文藝春秋1987年初版、最初のコラムは「署名入り寄贈本」。

《 ある日のこと、たまたま手にした未見の詩集を開いてみると、丸山薫に宛てた著者の署名本であった。それから、同じ棚の詩集を次々に見ていくと、丸山薫様、何某、と見返しの頁に署名した詩集が、かなりたくさんあることに驚かされた。 》

《 寄贈本をどう始末するかは、著作家にとってけっこう厄介な問題である。 》

《 そのたびに、丸山薫の例を思出していたのか、というとそうでもない。なにしろ、四十年も昔の話である。 》

 四十年前の1973年四月に初版が出た『現代日本文学大系93 現代詩集』筑摩書房1980年10刷の月報、冒頭は丸山薫のエッセイ「詩というもの」。

《 理由は、詩というものは到底言葉にならない心情を、どうにかこうにか言葉にちかいものに仕立て見せたものだ、というのが私の考えだからである。そうであるかぎり自他の詩について的を射た論議をするのは、すくなくとも実作者の私には不可能無意味だと思われるからでもある。 》

 こういう考えなら、寄贈本は後日古本屋へ、だろう。近隣のブックオフには誰に贈ったのか、寄贈本の句集歌集詩集がっごっそり並んでいる。ほとんどが自費出版で105円。不思議なことに、これがいつしか消えている。売れたんだと思いたい。函南店で以前入手した夏樹静子『特装本 国境の女』講談社1978年非売品にはサインペンで宛名と署名。思い当たらない名前だ。エリザベス・グージ作/石井桃子・訳『まぼろしの白馬』福武文庫1990年にはペンで「一一九一年クリスマス 石井桃子」。これは微笑ましい。

 亡くなった1986年10月に雑誌に掲載されたコラムと絶筆から。

《 君子は豹変す。そうでなければ国際社会では生きられない。 》

《 高齢化社会の到来は必至だから、老後の備えは欠かせない。 》

《 「日米関係は、かつてなく良好」という言い草も、あながち皮肉ではあるまい。 》

《 それからが大変である。うっかりすると、元も子もなくしてタダ働きになりかねない。 》

 コンビニエンスストアファストフード店ファミリーレストラン、ディズニーランド、アウトレットモールそしてショッピングモール。日本の街と郊外の景観を激変させたアメリカのビジネスモデル。なす術も無く衰退壊滅する商店街。その流れに抗して、三島市中心街を流れる源兵衛川の修景整備と生態系の復活を心がけて二十年。今日空き店舗はない(ウソみたい)。昨日のこの地区の老人会総会では、住むにはここが一番いいと、もちきりだったとか。

 天候に左右されない人工空間にたいして天候が気になる自然空間=源兵衛川。ひそかに三島型モデルと考えている。街の中に緑と清流。人は水辺に憩う。水辺をお散歩。水に入る。なんと気持ちよいことか。年配者が住みたくなるわ。

 ネットの拾いもの。

《 おはようからおやすみまで ツイッターを見つめるヒマ人 》