一昨日触れた「主情的な詠嘆に彩られた近代詩」から一線を画していた詩人は、瀧口修造(1903年〜1979年)だろう。1967年初刊本が縮刷版で再刊された『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』思潮社1971年初版は、白地に縦書きの文字だけの装丁、A5版ほどの小体な版型で、私の好みにぴったり。挟み込まれた栞の「添え書き」冒頭。
《 私のなかのひとりの詩人がこのような標題を選ばせた。編者はむろん私自身である。私にはこれまで単独の「詩集」というものが存在しなかった。存在しえなかった。 》
《 しかし詩集とは呼ばず、「詩的実験」と呼ぶことにした。実験という語については、その字義通りに解釈していただきたいのである。実験という語にまつわるさまざまな時評的解釈に呪いあれ! 》
《 おそらく西脇(順三郎)氏の出現なしにはこの本は存在しなかったか、もしくはかなり異なった相貌を呈したであろう。 》
詩的実験という標題にただならぬ気配を感じ取って1200円を払ったわけだが、大当たりだった。まず一読驚嘆惚れたのは、散文詩「絶対への接吻」だった。その冒頭。
《 ぼくの黄金の爪の内部の瀧の飛沫に濡れた客間に襲来するひとりの純粋直観の女性。 》
半ば。
《 霊魂の喧騒が死ぬとき、すべての物質は飽和した鞄を携えて旅行するだろうか誰がそれに答えることができよう。 》
結び。
《 すべては氾濫していた。 すべては歌っていた。 無上の歓喜は未踏地の茶殻の上で夜光虫のように光っていた…… ( sans date ) 》
1931年の発表。シュールレアリスト瀧口修造の面目躍如。マックス・エルンストのコラージュを連想する。例えばエルンストのコラージュ小説『百頭女』1929年、第二章の「百頭女がおごそかな袖をひろげる。」(1996年河出文庫版の巌谷國士・訳)を。1974年に河出書房から出た『百頭女』の小冊子に瀧口は書いている。
《 昔、始めて見たときの「百頭女」は静かな炸裂のように私の若さをゆるがした。その出現は、時知らずの暗黒の大密林で出遭う沈黙の稲妻のようなものであった。 》
1936年の「マックス エルンスト」という行分け詩全篇。
《 夜の旅行者は
不可解な夜の手錠を
肉片のように
食い散らす
声のない夜半に
ゴビ砂漠気附で届く
擬態の手紙がある
言葉の鑵詰を
飢えた永遠の鳥たちは
肉片と間違えるのだ
一夜
人間の贈り物は
花のように燃えていた 》
誤字が心配。
ネットの見聞。
《 明白なのは、「TPPに入っても日本には何もメリットはない」ということだ。事前協議でこれだけの内容を唯々諾々と米国に渡しておきながら、「本交渉では交渉力を発揮して聖域を守ってルールメイキングをします」といったところで、その言葉は信頼に足るはずがなく、空疎な妄想といっても言い過ぎではない。 》 Acts for Democracy
ネットの拾いもの。
《 パスワード忘れたからヒントを見たら『今のお前のことだ』と表示されてしばらく迷った末に「バカ」と入力してみたら無事通った……。 》