詩のイメージ──瀧口修造を中心に

 大岡信『肉眼の思想』中央公論社1969年初版、「言語芸術には何が可能か」より。

《 言語構造体の自律化を激烈なまでに追及しつつ、他方で、これと一見矛盾する欲望、すなわち、言語を通じて具体的な世界を通りたい、という熱望にたえずかられている──ここに、『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』がもっている独特な意味があったし、今日これらの成果がはじめて一冊にまとめられたことの意味もあるのだ。 》

 大岡信『現代詩人論』角川書店1969年初版、「瀧口修造」より往復書簡の瀧口の返信部分。

《 たしかに私は絶対に魅入られていたのです。しかしいま思っても妙なことは、その絶対という観念の世界が、私にとって、いつも具体的な世界と表裏しながら去来していたということです。なんと私は具体的な実在を通ることに思い焦がれていたことでしょう! 》

《 結局、記号であり、表象である以上のものの探求を言語に賭けようとする非望のようなものが、私につきまとっていた、といえるでしょうか。 》

 『骰子の7の目 シュルレアリスムと画家』叢書河出書房1973年の月報0号から瀧口修造「画家の明証」冒頭。

《 人は絶えず何ものかに賭ける。しかも、6の目の骰子を振りながら、その実は7の目をもとめているのではなかろうか。画家もまた例外ではない。 》

 『昭和文学全集34 評論随想集 II 』小学館1989年初版には、飯島耕一「詩のイメージ──瀧口修造を中心に」1982年が収録されている。

《 瀧口修造におけるリアリズムは次のようなイメージとなって爆発する。 》

 と紹介されたのは、一昨日引用した瀧口修造の詩「絶対への接吻」全篇。やはりね。

《 鮎川信夫の戦後の詩論と、一九三○年の瀧口修造の詩や詩論は、まるで異なったものに見える。しかしこの二つの、非常にかけはなれたように見えるものを、ほとんど暴力的に結合させることはできないものか。 》

《 われわれのことばに力をとり戻す行為はアクチュアルな現実と、そこから飛翔しようとする意識の切り結ぶ地点ではじめて可能であるに相違ない。 》

 ネットの見聞。

《 大阪市内ではこのほか寺田町駅前店、そして正式な店名は忘れたが鶴見緑地線沿いにあったブックオフもつぶれた。 》 智林堂書店

 行きつけの三島徳倉店、長泉店、函南店、沼津リコー通り店そして沼津南店、どれも閉店の気配はない。よかった。競合店は三島沼津全部潰れた。

《 中に入ると時間が停まり、ただただ埃と古本が降り積もって行くのみ…棚下平台のノベルス低山を掘り起こし(まだまだ何か埋まっていそう…)、コスモノベルズ「ふたりの乱歩/松村喜雄」を100円で購入。 》 古本屋ツアー・イン・ジャパン

 近所にあった古本屋北山書店を思い出す。黒岩涙香『幽霊塔』旺文社文庫1980年重版、E・ガボリオ『ルコック探偵』1979年初版などを発掘した。どちらも200円しなかった。