余白に書く1

 冬に逆戻り。雨も止まず。蒲団に引きこもる。

 昨日、ネット注文した瀧口修造『余白に書く』みすず書房1982年初版函帯付が届く。この元本『余白に書く』1966年刊行の細長い本は、当時の私には高価で手が出ず、本屋で眺めるだけだった。それが瀧口の死後、『2』と小冊子を加えて函入り本として出ていたのを知ったのは最近のこと。当時の定価4600円、古本値3000円。ずっと心に引っかかっていた『余白に書く』1を読んだ。短文集。

《  イメージを再現するのでなく、
   イメージを生産するのである、  》

《 いったい私たちはあまりにも絵画の略図的知識や既成の処方にたよりすぎている。そして才能はそれを巧みに利用することだと思いこんでいはしないであろうか。 》

《 私はともすれば、画家が既成の空間を描くものだとのみ思いこんでいるような世界に慣れすぎている。 》

《 現代絵画にはいくつかの観念、いくつかの開拓されたルート、いくつかの類推の手がかり、またいくつかの見出しがつくられていて、それだけが入口であり出口であると思い込まれ易いことも事実だ。それより絵画の社会的、経済的な枠で出来上がった固定観念もなかなか救い難い麻酔的効果である。──こうして絵は忘れたころにやってくるにちがいないのである。 》

《 この「現代語」を一夜に「死語」と化すような詩をこそ望んでいるのだ。 》

《 不可能の造形こそ、現代の芸術家をもっともつよくとらえているのである。 》

 ネットの拾いもの。

《 青山テルマエ・ロマエって漫才師いそう。 》

《 テルマエロマエがシリーズ化したら、そのうち、「NHKテレビラテン語講座」なんてのが始まったりして。 》