ライト・ヴァース

 瀧口修造没後の何回目だか忘れたが、銀座佐谷画廊でのオマージュ展へ行った。肩透かしを喰らった記憶。そのへんのことを、ギャラリー「ときの忘れもの」オーナーがブログで回顧してる。『余白に書く』みすず書房1982年は、先行する『画家の沈黙の部分』『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』縮刷版と同じ大きさ。三冊並べると、ミクロコスモス瀧口修造

 植草甚一(1908年-1979年)と瀧口修造1903年-1979年)。ふたりは戦後の同時代を生き同じ年に亡くなった。植草甚一はサブ・カルチャー、ポップ・カルチャーで人気を博し、瀧口修造はファイン・アート、現代美術で地位を確立した。植草は軽妙な饒舌体、瀧口は簡潔な文体。植草は若い一般読者を相手に語り、瀧口は見込みのある芸術ファンを相手に語った。絵をたしなんだ二人は、1960年代、1970年代それぞれに注目される存在だったが、おそらく接点はなかっただろう。記憶がたしかなら、植草甚一の蔵書は神保町の古本屋へ流れた。瀧口修造の遺品は、富山県立美術館と多摩美術大学と慶応大学へ分散収蔵された。没後まで対照的だ。

 寺山修司唐十郎横尾忠則宇野亜喜良五木寛之野坂昭如。1960年代〜70年代には興味深い共立競立対立対抗対峙があった。突出した表現者の跋扈した賑やかな時代だった。情報が世界を一気に通り過ぎる今日、ちょっと昔を振り返ることで、今の構造が見えてくる気がする。

 『現代詩手帖』1979年5月号、特集「ライト・ヴァース」。Light Verse とは、High Verse という高尚真面目な詩に対する哄笑軽妙な詩、ほどに考えておくといい。藤富保男は「軽業詩」と呼んでいる。

《 笑いと悲しさは顔にあらわれないかもしれない。しかし、この二つの感情がライト・ヴァースにかくされていることは見逃せないだろう。 》

 藤富保男詩集『風一つ』1974年から。

《  涙の音が
   はてな
   と
   ひびく
   風やんで眉あげる  》

 藤富の詩はまさしく軽業詩だが、彼が紹介している伊藤勲の詩「泪」。

《  ハンカチーフで泪をふいてはいけない

   泪がよごれる                 》

 工藤直子詩集『てつがくのライオン』1982年から「ライオン」。

《  雲を見ながらライオンが
   女房にいった
   そろそろ めしにしようか
   ライオンと女房は
   連れだってでかけ
   しみじみと縞馬を喰べた  》

 詩集『求めない』で仙人になってしまったような加島祥造は特集で書いている。

《 ライト・ヴァースの軽さとは詩の表現の軽妙さをさすのであって、詩の主題の軽さを指すのではない。それは深刻とされる主題──愛や死や苦悩──を扱いうる点ではハイ・ヴァースと少しも変わらない。 》

 ネットの見聞。

《 映画はいいものができると50年、100年残る。私には子どもがいないので、何かを残せるとすれば、それは映画。(吉永小百合) 》

 収蔵美術品を後世に残そうと思っているけど、それはそれとして、きょうを生きようと今は思っている。一日一日がいとおしい。風邪をひいた。対処の仕方を忘れてしまった。