正確な曖昧

 昨日、詩「風一つ」を紹介した藤富保男。現代詩文庫57『藤富保男詩集』思潮社1973年初版から詩「六」全篇。

《  六時に女に会う
   女と会う
   一人の女に
   一人の六時に
   一人で六時のところに立って

   六時だけが立って
   誰もいない             》

 彼には『正確な曖昧』という詩集がある。題名にしびれた。以来、焦点のぼやけた絵には「正確な曖昧」を適用した。ドイツの現代美術家ゲルハルト・リヒターの人物画を筆頭に。

 収録のエッセイ「秩序の中での逃亡」から。

《 無言のひばりでありたい。ただ紫色の影を薄明りの中にのこして行くだけの、それだけの沈黙の、無言葉の行為の溌剌とした美でありたい。 》

 ネットの見聞。

《 私は多摩美術大学で18年間、教鞭を取ってきました.私の講義は「鑑賞する方からの美術、デザイン論」で、必修科目を担当して多摩美の学生に、やや感性を後退させて、大きな歴史や文化の中で美術やデザインを見るとどう感じるかを中心に講義してきました。 》 武田邦彦

 「大きな歴史や文化の中で美術やデザインを見る」ことは重要だと思う。以下の内田樹の見方に蒙を啓かれる。

《 話がそれるけれど、元老山縣有朋田中義一が死んだときに陸軍の長州閥が実質的に解体する。そのとき長州閥の重しがとれると同時に、東北出身の、陸士陸大出の人たちが陸軍内部で急激に大きな勢力を作り出す。彼らが中心になって皇道派・統制派が形成されるんだけれど、彼らの主要な関心事は軍略じゃなくて、実は陸軍内部のポスト争いなんだよ。長州閥が独占していた軍上層部のポストが空いたので、それを狙った。 》

《 陸海軍大臣参謀総長軍令部長教育総監といういわゆる「帷幄上奏権」をもつポストを抑えれば、統帥権をコントロールできる。政府より官僚よりも上に立って、日本を支配できる。そのキャリアパスが1930年代の陸軍内部に奇跡的に出現した。そこに賊軍出身の秀才軍人たちが雪崩れ込んで行った。真崎甚三郎は佐賀、相沢三郎は仙台、ポスト争いで相沢に斬殺された永田鉄山は信州、統制派の東条英機は岩手、満州事変を起こした石原莞爾は庄内、板垣征四郎は岩手。藩閥の恩恵に浴する立場になかった軍人たちが1930年代から一気に陸軍の前面に出てくる。 》

《 だから、あの戦争があそこまで暴走したのは、東北人のルサンチマンが多少は関係していたかもしれないと僕は思う。結果的に近代日本を全部壊したわけだから。ある意味で大日本帝国に対する無意識的な憎しみがないと、あそこまではいかないよ。戦争指導部は愚鈍だったと言われるけれど、僕はここまで組織的に思考停止するのは、強い心理的抑圧があったからじゃないかと思う。 》 内田樹「東北論」

 この分析は知らなかった。

《 春になり、澄んだ雪解け水がさらさらと小川を流れるような、そんな美しいハナミズが出てます。 》

 風邪ひいて初めて経験。