青い壺

 躑躅の香りに巻き込まれながらブックオフ沼津南店まで自転車で。矢作俊彦ロング・グッドバイ角川書店2004年5刷、三代目三遊亭円之助『はなしか稼業』平凡社ライブラリー1999年初版、森岡正博『感じない男』ちくま新書2005年2刷、城市郎『発禁本』福武文庫1991年初版、阿刀田高ほか『マイ・ベスト・ミステリーI』文春文庫2007年初版、計525円。

 有吉佐和子『青い壺』文春文庫2011年初版を読んだ。解説が平松洋子だから買った本。青い壺とは砧青磁の壺のこと。京都の陶工の窯で偶然できた新作の砧青磁の壺を巡る短篇連作現代小説。壺は様々な人の手にわたり、数奇な運命を辿る。壺の周囲で起きる戦後の人間模様。人物像がくっきり見える的確な人間描写、巧みな筋運び。読者の心を掴む娯楽小説はこう書くのだという見本のような作。

 初代諏訪蘇山の青磁の壺を鑑賞。ずいぶん前に購入。北一明氏が著書で蘇山を高く評価していて、気になっていた陶芸家。西に傾きかけた日差を受けて、油絵の古典技法に見られる、深味のある青磁色を現す。青磁に関しては詳しくないので、この色が砧青磁なのかよくわからない。汝窯青磁色ではないことはわかる。

《 何気ない円筒型で、飾り気のない壺であるのに、いざ花を活けにかかると、多く挿しても少なく活けても収りが悪い。 》 『青い壺』第三章

 この諏訪蘇山の青磁の壺も同様。北一明氏の壺も、同じく収りが悪い。幾人かが試みてはいるが、成功した例はない。器だけで自律する美を備えているせいか。

 東京国立博物館で見た青磁茶碗「馬蝗絆」に唸り、大阪東洋陶磁美術館で見た「飛青磁花生」には感嘆したが、同館のもう一つの目玉、汝窯の焼きものには惹かれなかった。1994年出光美術館で見たバウアーコレクションの、かたちも大きさも林檎を連想させる青磁の清冽な青には息を呑んだ。「月白水滴」清・康熙(1662−1722)在銘 H7.2cm.D10.5cm。これ、欲しい〜と思った。翌年の阪神淡路大震災で、巡回展示中の二点が壊れたという新聞記事に肝を潰したが、これは破損を免れていて胸をなで下ろした。

《 うつくしいものは、望もうと望むまいと、ひとの真実を露わにする。(略)際立ってうつくしいからこそ、奥底に重層的な陰影を潜ませており、与えなくてもいいはずの光をもたらして浮き彫りにしてみせたり、分け入らなくてもいいのにひとの心理を腑分けしたりもする。偶然などではない。これは、うつくしいものがみずから背負った宿命、意図しない残酷、または世の理なのだ。 》 平松洋子「解説」

《 青磁は、いわば隙がない色彩だ。やわらかだけれど、どこか張りつめた緊張を宿している。 》 同

 ネットのうなずき。

《 芸術ってのは日常に比べると実にスカスカだ。その気になれば、真ん中からすっと通り抜けてしまうことだってできるだろう。 》 椹木野衣