少女 撮影/篠山紀信

 連休最後の日は初夏の陽気のいい天気。街中は閑散、車はスイスイ。

 自転車でブックオフ函南店へ。文庫ばかり13冊。『須賀敦子全集』河出文庫1〜8巻全巻揃い、1巻2009年8刷、2巻2009年3刷、3巻2009年2刷、4巻〜8巻2007年〜2008年は初版。そして湯川豊須賀敦子を読む』新潮文庫2011年初版、門井慶喜『天才たちの値段』文春文庫2010年初版、都筑道夫『女を逃すな』光文社文庫2003年初版、矢崎存美『再びのぶたぶた』光文社文庫2009年初版、マーサ・グライムズ『「酔いどれ家鴨」亭のかくも長き煩悶』文春文庫1994年初版、13冊2割引で計1092円。新品同様の須賀敦子全集揃いを豪華大人買い〜。満足、あとはもう付けたし……でもないか。

 昨日の篠山紀信椹木野衣を受けて。雑誌『BRUTUS』1996年7月1日号マガジンハウスは特集「少女 撮影/篠山紀信」。惹句から。

《 少女──それは、決して触れることのできない、あたかも透明であるかのような存在。 》

《 少女──それは、永遠の謎。 》

 篠山紀信の発言。

《 今回、改めて並べてみて、僕のセンサーが反応した少女たちには全員、美しく可憐な肉体の内に秘めたる毒を隠し持っていたことに気づいたけど、以前はその少女の負の部分を、大人や社会との関係性の中で、捉えていたということだ。 》

 その少女たちとは。栗田ひろみ山口百恵手塚理美洞口依子、松本小雪後藤久美子宮沢りえ神田うの宝生舞吉川ひなの……。

 そして「今回登場」の少女たち。

《 鈴木沙綾香、水谷妃里小倉星羅、吉野沙香、浜丘麻矢安藤聖栗山千明安藤希。 》

 聞いた名前があるなあ。

 この特集で椹木野衣バルテュスの絵について書いている。

《 あえて乱暴を承知で言えば、バルテュスの作品は少女を描いたものというよりは、作品それ自体が少女のような「物」なのである。 》

《 時に彼の作品が垣間見せる残酷無比な印象というのも、おそらくはそこに由来している。 》

 慧眼だ。そのバルテュスについて篠山紀信の発言。

《 その姿を見た時に、彼は描くことで、自らの少女愛を封印しているのだな、と感じた。 》

 四谷シモンの談話として書かれていることから引く。知人について。

《 自分が少女になってしまいたい、という衝動さえ心のどこかにあるという。 》

《 だからこそ、金髪の人形を作りつづける彼のように、少女になりたいという想いさえ抱くのだろう。 》

 このくだりを読んで、そう、1日に取り上げた森岡正博『感じない男』を連想。

《 私は少女の体を生きてみたかった。 》

 それにしても、この撮り下ろしの少女たちに性的魅力をほとんど感じない。それが篠山紀信の技量なんだろう。

《 僕の欲望はもっとずっと巨大で、ロリータなどという狭い性向にとどまるのではなく、それらを踏み越えたところで写真を撮っている。 》

 ネットの見聞。

《 思い出した。。。同じ安倍政権だったか。(2007年の記事) 女性は『産む機械、装置』 講演で柳沢厚労相 [東京新聞] こういう馬鹿タレが大臣になる安倍末期政権。 》

《 「米国に押し付けられた恥ずかしいもの」とは「憲法」でなく「日米地位協定」だろう。「憲法」でなく「GE社製の欠陥原子炉」だろう。「憲法」でなく「欠陥機オスプレイ」だろう。「憲法」でなく「遺伝子組み換え食品」だろう。安倍晋三はこれらをすべて米国に突き返してから「改憲」を口にしろ! 》