目から脳に抜ける話

 午前中は源兵衛川下流の雑草撤去作業に参加。山と出る草。午後は三重県からの源兵衛川の視察の案内。ふう。味戸ケイコさんから電話。旭川美術館の展示や昨日のトークのことなど。好評でなにより。

 養老孟司吉田直哉『対談 目から脳に抜ける話』ちくま文庫2000年初版を読んだ。

《 養老 身体に関する感覚ってのはやっぱり、誰がまともってことは言えないわけで、ただちょっと日本の場合には無視の程度が激しいですね。だから、おそらく明治になって、身体に関する美的基準を持っていないということに気がつかされたんじゃないでしょうかね。面白いことに基準を持たないところに何か入ってくると、相手の基準にパッと同化しちゃうんでね。 》 100-101頁

 西洋画の受容を連想させる。

《 養老 人体が故障することによって死ぬという考え方が成立したのは実は十九世紀なんです。 》 135頁

《 養老 僕は「解剖って何ですか」ってよく聞かれるるんですけど、長い間やってきてたどりついた結論は「人体の認識論」ということ。さらにその基礎的な作業として言語化する。だけど言語化するということと人間をバラすということは、結局は同じことで、なぜかと言えば言語はものを切ってしまう性質をもっている、(以下略) 》 136頁

《 養老 私、高齢化社会で何かメリットがあるとすると、試行錯誤の中で一番ラディカルなことができるのは老人じゃないかって気がするんです。先のことを考える必要がなくなってくるんですね。 》 146頁

 ネットの見聞。

《 新パラダイム提出しようとしている人に細かさを求めたらダメ。求めるべきは蛮勇と、主張の本筋の一貫性。 》