聖少女・続き

 昨日の倉橋由美子『聖少女』の余韻冷めやらず。

《 「乗るつもりかい?」
  「乗せてって」
  「どこまで?」
  「どこまでも」 》

 最初の一頁のこの決め科白で後は疾走。そして愛の迷宮への失踪?(三島由紀夫『愛の疾走』講談社1963年初版、東君平の切り絵の函装丁はいいなあ)

《 壁にはブリューゲル、ヒーロニムス・ボス、ポール・デルヴォー、パルテュス、チャペラ、サルヴァドール・ダリなどの複製画をかかげ、 》

 パルテュスはバルテュスの誤植だろう。チャペラがどんな画家か不明。チャベラだと、チャベラ・バルガスという女性がフリーダ・カーロと親交があった……。

《 未紀はどこを見ているとも測りがたい視線をぼくに向けたまま、皿のうえでピッツァをこまかく切っていた。》

 この本を知った四十数年前は、ピッツァがどんなものか知らなかった。

《 ひとは跳べないときに書くのだろう。 》

 大江健三郎の短編集『見る前に跳べ』1958年。

《 要するに彼女たちは結婚まえのつまみ喰いの常習者であり、平均二十五歳の正規分布にしたがう年齢の女たちで、まったくクールでなかった。 》

 クール!

 『聖少女』新潮文庫1981年初版折込の紙片「今月の新刊」には『聖少女』と森茉莉『甘い蜜の部屋』。

《 ──「パパ」を異性として恋した少女の、崇高なまでに妖しい、禁じられた愛の陶酔。 》 『聖少女』

《 無垢な魂と魔性の炎を秘めた美少女モイラが、父親と築いた二人だけの部屋── 》 『甘い蜜の部屋』

 ネットの見聞。

《 ニューヨークタイムズはこのところの自民党政治の動きを「foolhardy」と形容しました。これを「無思慮」と訳すのはちょっと穏やかすぎるかも知れません。「バカ」と「むちゃ」の合成語ですから。かつての総理に向けられた「loopy」(変人)という形容詞とどちらが悪い意味なんでしょう。 》 内田樹

 ブックオフ長泉店で二冊。平松洋子『買物71番勝負』中央公論社2004年初版帯付、淮陰生(わいいんせい)『完本 一月一話 ─読書こぼればなし─』岩波書店1995年4刷帯付、計210円。前者は探求依頼本。後者は昔、岩波新書版で読んでいた。これは増補。