近代芸術

 ブックオフ長泉店で二冊。『現代詩文庫50 多田智満子詩集』思潮社2001年10刷帯付、ジョルジュ・シムノン『メグレと殺人者たち』河出書房新社1983年初版、計210円。ブックオフ沼津南店で二冊。芦辺拓『探偵と怪人のいるホテル』実業之日本社2006年初版、鮎川哲也ほか『マイ・ベスト・ミステリー V』文春文庫2007年初版、計210円。

 瀧口修造『近代芸術』美術出版社1962年初版を読んだ。これは四回目の出版本。最初の本は1938年に出版、次に1949年、三回目は1951年そして1962年のこれ。そんなに古い出版なのに、内容は全く古びていない。この新鮮さは何だろう。印象派以降の二十世紀美術史の本をいくつも読んだけれど、この本が最も切り込み深く分析しており、説得力のある明晰な文章が、ぼやけたオツムを覚醒させる。ワクワクして読んだ。

 ミロの項。

《 彼の画面の「空白」の意味は東洋画のそれとの興味ある対比を示すものであろう。つまり西洋絵画の伝統には、純装飾的なあるいは原始的なものを除いて、こうした伝統はなかったのである。また純粋抽象画の場合においても空白や塗りつぶしはあるが、それに対比される他のフォルムは同質のものであるのが普通である。ミロは空白あるいはそれと同価値の色面に有機的な対象の線や形を描いていく。そのことが彼の線や形の本質に東洋の書画のそれと相通ずるものを与えるのだろう。 》 「シュルレアリスム論」

 私の考えている「余白・空白・空虚」とは視点が少し違うが、先達だ、と感心していたら、 原研哉はきょうのツイッターにこんなことを書いてた。

《 コミュニケーションは、誤解を避けるよりも、むしろ解釈の多様性を追い風にするくらいでいい。肝心な部分は常に( )の中にあり、ここに何が埋められるかは永遠に規定できない。 》

《 ミニマルとかプレーンとかシンプルとかエンプティとか、いずれも( )が空いたままになっていて、そこにどんなイメージを入れるかは読み手や受け手に委ねれている。 》

《 花も、庭も、詩も、空間も、舞踊も、茶も、料理も、もてなしも、日本の場合そうなっている。 》

《 自分もいつの間にかそういう状態を明快に意識するようになった。( )をあけておく。そして余分を始末する。 》

 ネットの見聞。

《 安倍晋三は、橋下徹のソフトバージョン。橋下は安倍を維新の会の党首にしようとしたのは記憶に新しい。共通点は、本音を漏らして、風当りが強くなると、微妙に前言の論点をずらしていくポピュリスト的手法の体現者だということだ。論旨が一貫している石原よりもある意味でたちが悪い。 》 平川克美

 ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト「中国人社員旅行で眺めた日本 」から。

《 ――でも、日本に行ったからってAVそのものの光景が見れるわけじゃないでしょ?
  ビン:見れなくてもいいんだよ、その文化の近くに自分がいるってことが感じられれば。そして気兼ねせずにそれを買うことが出来る。
  チャン:ホテルのテレビのチャンネルをひねったら、1日1000円で見れるしね(笑)。
  ビン:あとコンビニに行ったらどこにでもそんな雑誌があるし。
  モン:アダルト雑誌があるもんね!
  シュウ:北京に帰ってきてからコンビニ入ったとき、思わず雑誌の棚のところまで歩いて行ったよ、オレ。で、がっかりした(笑)。 》

 ネットの拾いもの。昨日は午前雨、午後曇天、夜雨。

《 明日は天気も脳味噌も晴れますように。 》

 晴れたよ。