近代芸術・続き

 暑くなりそうなので、昼前にブックオフ三島徳倉店まで自転車でひとっ走り。西岡文彦『絶頂美術館 名画に隠されたエロス』新潮文庫2011年初版、平山蘆江『蘆江怪談集』ウェッジ文庫2009年初版,計210円。

 1938年(昭和13年)初刊の瀧口修造『近代芸術』では「美」という言葉がほとんど使われていない。以下の文章で使われたくらい。

《 ことに近代絵画に現れた汎自然主義は、絵画をかえって狭隘なモチーフの世界に閉じこめてしまった。「純粋絵画」という方向は、実は絵画を先鋭化せずに、かえって摩滅に導くような結果を招いている。対象がきわめて微細な部分的世界に局限されて、その表現のなかでの美的な要素の追求が作家によって行われるのである。対象の特質はしだいに失われて、マチエールとか色彩の趣味とかが尊ばれる。 》 「絵画についての感想」

 そして瀧口は結ぶ。

《 新しい絵画は、まず主題と技術の解放から出発しなければならないであろう。同時にその発表機能に無関心であってはならないのである。 》

《 「オブジェ」という言葉が新しい芸術の視野で用いられ出したのはきわめて最近のことある。ことにシュルレアリスムで、特殊な意味にとりあげられてから以後のことである。 》 「物体の位置」

《 超現実性を人間の欲望の原理に深く結合し、聞こえない内部の叫びに耳を傾けること、自我の象徴の中に超自然の鍵を発見することが、来たるべき文化のもっとも大きな課題となるであろう。 》 「現代芸術と象徴」

《 私はここで芸術における想像性の問題に直面する。わが国の美術の流れの間で、想像性を失ってから幾十年になるであろう。少なくとも、われわれが日本画と西洋画という奇妙な対立を認めざるをえなくなってから幾十年になるであろう。 》 「超現実主義の現代的意義」

 上記のように嘆いた瀧口はこう結ぶ。

《 超現実主義はあくまで、外面的な内容に対して内面的な内容を提示する。こうした劇的な美学はことに現代の力動的意欲にとって欠くことのできないものであろう。 》

 「超現実主義の現代的意義」は、集中の白眉だ。超現実主義からの現代的異議。それにしてもダイナミックな記述だ。軽やかでしなやかなリズムを刻む冴えた文体が羨ましい。

 『近代芸術』は、月刊『現代』1991年2、3月号の「徹底討議 近代日本の100冊を選ぶ」で58番に選ばれている。

 座談会での選者の一人、大岡信の発言から。

《 特に瀧口の場合は、西欧のアバンギャルド(前衛芸術運動)を一番まともに受け止めたんです。詩人は、美術と音楽とか、そういうものをすべて知っていなくてはならないというのが、アバンギャルド芸術の基本だと思いますが、『近代芸術』という本はまさにそういう広い視野で書かれています。 》

 ネットの拾いもの。

《 「セーラー服と機関銃」ってその組み合わせのミスマッチ感が面白いタイトルなんだと思ってたけどよく考えたら普通の海軍だよね。 》