われらにとって美は存在するか

 朝から伊豆高原での牧村慶子展のお手伝い。夕方帰宅。

 半世紀近く本棚に鎮座していた服部達 (1922-1956)『われらにとって美は存在するか』審美社1968年再版、表題作ほかを読んだ。表題作は1955(昭和30)年、雑誌『群像』に四回にわたって連載された。「作品評価の混乱について」「『実在の文学』の潮流」「私小説の美学」そして「未来への脱出路」から成る。その多くが私小説への批判に費やされている。

《 かれこれの原因からして、決定論者であり、運命論者であり、自分が現実に生きる小世界からの脱出を知らず、意図せず、しかもそのような生活態度をみずから肯定しようとする、日本的凡人が出来上がる。 》 「私小説の美学」

《 日本芸術の美的理念と称するものが、しばしば論じられることがある。たとえば、久松潜一は、日本文学の精神として、まこと・、もののあわれ・やさしみ・幽玄・さび・なぐさみ・をかしみ・粋・通・いき、などを挙げている。しかし、これらのものは、それ自体美的理念であるというよりはむしろ、美なるものに触れて生じた感情の形態的な分析の結果であり、あるいは、美なるものを創り出すための、実際的な注意事項というべきであろう。要するに、過程的なものしか、そこでは捉えられていないのである。 》 「私小説の美学」

《 しかし、新しい美はどこにあるのか。本当の、開かれた想像力に支えられた文学は、どこにあるのか。 》 「未来への脱出路」

《 私小説の伝統に断乎として背を向け、われわれの風土に決定的な反逆を試みる作家たちはいないのか。/ 大岡昇平三島由紀夫が残るだろう。とりわけ「俘虜記」と愛の渇き」において。 》 「未来への脱出路」

 その評論の結び。

《 誰か、賭けの論理という、もっとも現代的な、セックな神秘にもとづいて、想像力を十全に発揮する作家はいないか。 》

 悲痛な叫びだ。セックとはSEC(英語)、「(葡萄酒が)辛口の」という意味のようだ。その後に発表された「『近代文学』的公式の崩壊」で彼は「われらにとって美は存在するか」について書いている。

《 このエッセイのなかで、私は、文学作品を純粋に美学的な立場から評価すべきこと、私小説とヨーロッパ流の小説とでは美の基準が異なるようだが、想像力という視点から見れば、美学はつねに単一であることを証明しようとした。しかし、私小説という相手は、一筋縄では行かない。そこに引っかかって苦労しているうちに多くの紙数を費してしまい、わがライヴァル奥野健男に「竜頭蛇尾」と評される(読売新聞)始末に立ち到った。しかし、未知なるものへの想像力の発揮を今後の小説に欠くべからざる要素と説くことで、私は私なりに、一応のしめくくりはつけたつもりである。 》

《 大衆小説・中間小説の問題も、結局手つかずにひとしかった。 》

 と結ばれているが、優れた大衆小説を読んでいれば、視野が広がり、この発表から一月後(1956年正月)自殺をしなかったのでは? という気もする。

 ネットの拾いもの。

《 英語圏のひとに雲取山ってなにかと聞かれたので、cloud get mountain の意味で日本のクラウドコンピューティングの聖地で、UBSメモリが祀られていて東京都にあると教えたら、来月行きたいとか言い出した。 》