絶頂美術館

 梅雨入りの曇天のもと、体慣らしに自転車でブックオフ沼津リコー通り店へ。中上健次『鳳仙花』作品社1980年初版函帯付、石垣りん『夜の太鼓』ちくま文庫2001年初版、中野京子『怖い絵 死と乙女篇』角川文庫2012年初版、計315円。それにしても、文庫本の整理をしないといかんあ。中野京子『怖い絵 泣く女篇』角川文庫を探し出すのに手間取った。記憶にはあっても探し出せない……これには参る。作家別にすればいいのだけれど、床に積んである本はそれには不向き。文庫別がいまのところ最善か。しかし、面倒だなあ。明日があるさ

 そうもいってられない。そばの屹立する本の四塔を文庫と分野でざっくり整理。や、四塔が六塔になっちゃった。ピサの斜塔のごとく、微妙な安定を示していた塔が、六塔になって、あらまあ、雑本の林じゃ。まあ、雑木林は中学生の頃から好きだったからねえ。文庫本の雑木林、いいねえ。風に揺れるようにゆらゆら。これで整理になったのかなあ。

 ネット注文した蘭郁二郎『少年科学小説 奇巌城』盛林堂ミステリアス文庫2013年初版が届く。送料込み1150円。

 西岡文彦『絶頂美術館  名画に隠されたエロス』新潮文庫2011年初版を読んだ。十九世紀のフランス絵画・彫刻を中心に、美しくも生々しい、勇ましい(!)ヌードが、時代背景とのダイナミックな関わりで平明に語られている。

《 基本的に公衆の目に触れる作品に、神話にも聖書にも登場しない世俗の女性の裸を描く習慣は、近代以前には存在していなかったのである。 》 「第一章 足指のひそやかな物語」

《 反対に、発表当時はサロン画家たちから「気が狂った」と罵倒されたセザンヌの、人物や静物を細かい色面に分解して描く手法は、いまや芸大に代表される美大入試の定番手法となっている。 》 「第二章 絶頂のボディ・ライン」

《 百年かそこらで、当初は狂気とみなされた新手法が、アカデミックな美術教育の本流をゆく手法と入れ替わってしまっているのだから、芸術の基準というのもあてにならない。 》 「第二章 絶頂のボディ・ライン」

 九章のクールベが圧巻。

《 レアリスム、英語でいうリアリズムは、その名の通り徹底してリアルな描写によって、革命後の社会にふさわしい「民主主義の美術」を目指すもので、旧来の画壇好みの神話や聖書の場面ではなく、同時代の人々を主人公に生々しい現実を描くことをモットーとしていた。いわば「人民による人民のための絵画」である。 》 「第九章 闘うレズビアン絵画」

《 クールベの『画家のアトリエ』は、ナポレオン三世体制と、その御用美術がよしとする古色蒼然とした美意識への断固たる攻撃だったのである。 》 「第九章 闘うレズビアン絵画」

《 この絵を筆頭に四十点のクールベ作品を展示した美術史上最初の「個展」は、入場料一フランで大盛況。目と鼻の先で開催されている万博美術展と、それが象徴するナポレオン三世の威光への挑戦は大成功に終わる。クールベのしたたかなところは、こうした挑発的な個展を企画しながら、当の万博の美術展示にもちゃっかりと自作を出品している点にある。 》 「第九章 闘うレズビアン絵画」

《 レアリスム、つまりはリアリズムが美術様式として知られるようになのは、この時からのことである。 》 「第九章 闘うレズビアン絵画」

《 かくして真の芸術は時代を経れば必ず認められる、という話では、これは決してない。時代によって美の基準は全然違う、というだけの話で、マネの『草上の昼食』とカバネルの『ヴィーナスの誕生』の扱いも、いつまた逆転しないとも限らない。 》 「第十章 挑発のカメラ目線」

 これはいい本だ。

 ネットの拾いもの。「週刊現代」の広告大見出し。

《 6月1日号  アベバブル この夏、株価2万円の攻防 》

《 6月8日号  アベノミクスピンチに! 早く逃げよ 米国発すごい大暴落がやってくる 》