食卓のない家

 円地文子『食卓のない家』新潮文庫1985年6刷を再読。以前読んだのは、1979年に出た単行本(上・下)を新刊で購入して間もなくだった。印象深い読後感だったが、本は手放してしまい、筋はあらかた忘れていた。生々しい展開にぐいぐい引き込まれ、小さな字の五百頁余を一気読み。

 1972年の浅間山荘事件を題材にした小説。逮捕拘留されている長男を巡る、父を中心にした、母、次男、長女らの家庭と世間との激しい軋轢の四年間。息子と父は別と個人主義を貫き通す父に対して、息子の犯罪を親の責任として批難する一般大衆とマスコミに翻弄される家族。愛に恋に煩悶するそれぞれの人物造形が映画的、リアリスティックに見事に描破されている。円地文子の描写力と構成力と構想力に感銘を覚えた。傑作といえるだろう。人との関わり方のいい指針になった。三十年前に読んだ時もそうだったかな。多分そうだったろう。

《 「僕もそうあって欲しいと思います。現在の日本の法律では、家族も夫婦単位で、未成年以外は親とは別のものになっている筈でしょう。」
  「いや、核家族になったのは戦後だけれども、犯罪が生れた場合には、親子が法律上で無縁なのは明治憲法以来の契約だよ。これは明治時代に憲法を作る時にヨーロッパの法律を持ち込んで来て封建時代と違う新しい国家にしようとしたわけだ。……しかし、実際にはヨーロッパと日本では所謂人情風俗が違うからね。(以下略)」 》

 家族から犯罪人を出した場合の対処の仕方を学ぶ危機管理小説としても、読まれていい小説だ。

《 鹿島茂 「女坂」しかないんじゃないですか。他にあげるとしたらなんだろう? 》

《 丸谷才一 「なまみこ物語」。それと、役者のことを書いた話があったね。〔女形一代〕か。それも入れていいと思います。 》

 上記引用は『文学全集を立ちあげる』文春文庫2010年初版での発言。他にもあるんじゃない? と違和感を感じていた。円地文子『虹と修羅』が講談社文芸文庫で出版されたのを機に『食卓のない家』を再読した。『朱を奪うもの』『傷ある翼』『虹と修羅』の三部作は、新潮文庫で持っている。未読。

 ネットのうなずき。

《 ゲームの世界ではチャレンジしない。チャレンジは現実世界でやる。 》

《 人間、カネがなくても生きられるが、生き甲斐を喪失したら生きられない。 》

 ネットの見聞。

《 日本が外国と戦争したら、その敵国は日本の原発を攻撃する。それも福島原発の共用プールである。これは軍事専門家の常識である。もしここを攻撃されたら、日本国の終焉になるばかりか、北半球が人の住めない場所になる。それでまさか攻撃しないだろう、と思うのは、平和ボケした日本人だけの理屈だ。 》 兵頭正俊